12月18日、ついに9回目の出撃となったが、マニラ上空で機体が不調をきたし「これ以上、飛ぶことは危険だ」と判断してカローカン飛行場に戻った。
その後、マラリアにかかって激しい発作に苦しんでいる最中、日本軍はレイテ決戦に敗北した。ルソン島に残った佐々木は山中をさまよいながら敗戦を迎え、捕虜収容所を経て翌年1月15日に帰国した。9回出撃して9回生きて帰った男はその後、特攻についてほとんど語らなかった。
◆飛び立てば自由になれた
戦後を長く生きた佐々木は2016年に92歳で亡くなった。その直前に僕が5度インタビューした際、彼は「次は死んでこい」との命令に抗い、9回生還した理由について多くを語らず、「寿命があったから帰れた」とだけ繰り返した。
なぜ、彼は生きて帰ってこられたのか。父親と岩本隊長の教えや亡き同僚への思い、操縦士としての意地と誇りが作用したのはもちろんだが、結局のところは、空を飛ぶことが大好きだったからではないか。
いかに上官から理不尽な命令をされても、ひとたび大空に飛び立てば自由になれた。爆弾で攻撃できる相手に命を賭して体当たりすることに意味はなく、自分の生命と技術を無駄に扱い、大好きな飛行機を壊すことが許せなかった。佐々木はもっともっと自由に空を飛んでいたかったのだ。