「一つ一つは創作ですが、それらの話を重ねると、現実が虚構の裏側に張り付いてくるんですよね。松井が運転手になったのも巡り合わせなら、ミツキたちを乗せたのも巡り合わせ。登場人物が増えるにつれて累乗的にあっちとこっちが繋がったりもする。それって現実と同じだなあとよく思いますし、実際こんなものだと思うんです、世界の成り立ちとか、人の繋がりって」
◆見えない物語を読めるかどうか
自ら手がけた漆黒の装丁や、ミツキの会社の倉庫係で元バーテンダーの〈前田〉が作る特製〈コークハイ〉など、本書では黒のイメージが鮮やかだ。かと思えば「よつかど」の定番メニューで、アヤノと田代を繋ぐ〈ハムエッグ定食〉の美味しそうなこと! 私見だがハムエッグのある食堂にはいい食堂が多く、モデルがあるならぜひとも聞きたい。
「まさに、ある町の四つ角に女性が4人でやっている食堂があって、何を食べても本当に美味しいんですよ。場所は秘密ですが(笑い)。あとデザインの話でいうと、僕が良いデザインだと思うものはたいてい黒の使い方が巧い。夜とか闇にも似た面があり、惹かれるのかもしれません」
〈江戸っ子って、あきらめることが身上なんだって〉と笑いあう食堂の女たちといい、浩一との結婚に踏み切れずにいるミツキといい、彼らは恋や人生にどこか控えめだ。また壊れた時計を〈二台で正しい時計〉として売り、〈十五分遅れる時計と十五分進んでしまう時計が出会えば、ちょうど正しい時刻になる〉と宣う古道具屋の講釈も実は奥が深く、東京の夜はどこまでいってもあやふやなまま、今日も午前1時を迎えるのである。