その一方で、正仮名遣いには味わいがある、とか、情緒豊かである、とか言う人がいる。そうだろうか。正仮名だろうと新仮名だろうと、味わいのある文章にはどっちみち味わいがある。正仮名にあるのは論理なのだ。
石川淳は思想的にはアナーキズムに近い。同じ正仮名論者でも福田恆存は保守主義である。丸谷才一はリベラル派である。三島由紀夫は石川淳と親しかった。政治思想の左右を問わず、文化の論理を重んじる人たちであった。
何十年も前『古事記』を読んでいて気づいた。皇祖神たちは初めから日本語を話している。ああ、皇祖神より日本語の方が先なのだと知った。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会理事。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。
※週刊ポスト2018年9月7日号