僕は葛飾区亀有出身なのでいくぶん複雑ですが、はっきり言ってしまえば、関東が上方に代わって、政治、経済、文化すべてにおいて日本の中心に座ったのは明治維新の後、近代国家としての日本が成立してからだと考えます。ところが、井上章一先生(国際日本文化研究センター教授)に言わせれば、明治の御一新だって、原動力は西日本の雄藩と大坂商人の資金力らしいですから(笑)。残念ながら、ここでも関東の影は薄い。
迅速に近代化を達成するため、行政機構も軍事機構も、権威の象徴としての天皇も、ぜんぶ一か所に集めてしまえば効率がいいじゃないか。その場所として東京が選ばれたことにより、明治以降は〈東京ニアリーイコール関東〉が主役に躍り出ました。全国からの寄せ集め、それがいまの関東です。
フランスの哲学者、ロラン・バルトは東京の「中心は空虚である」と指摘しましたが、どうでしょう。ここまで俯瞰してきたように、そもそも関東は、〈原日本〉としての歴史が浅く、ある種の「移住者たちの空間」として機能してきました。ですから、僕自身も含めて、東京に生まれ育った者には愛郷心が伴いにくい。対して上方の人々には、今でも過剰ともいえる愛郷心が備わっているように感じます。
大上段に構えた愛国心という言葉は、あまり好きではありません。けれど、これからの時代、適度な愛郷心はあってもいいんじゃないか。明治以降、日本は効率化を第一とする一極集中で国家を運営し、敗戦後も高度経済成長を成功させました。この形は、もしかするとバブルの前あたりまでは成功していたのかもしれませんが、もはや限界に達しているのは明らかです。
今後は、地方分権をどれだけ本格的に進めて各地方都市が切磋琢磨できるかが、この国の行く末を左右するのではないでしょうか。
●ほんごう・かずと/1960年、東京都生まれ。1983年、東京大学文学部卒業。1988年、同大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。同年、東京大学史料編纂所に入所。『上皇の日本史』『壬申の乱と関ヶ原の戦い』『新・中世王権論』など著著多数。
※SAPIO2018年9・10月号