山下:読者のみなさんは覚えているでしょうが、あの当時、塔によじ登ってこの目玉に立てこもった男がいたんです。
兼田・黒口:目玉男!(笑い)
山下:大阪万博の入場者は6421万人で、日本中が熱狂していたんですよ。1964年の東京五輪と1970年の大阪万博は日本の高度成長期の象徴でした。太陽の塔を通して岡本太郎の存在は日本中に知れ渡り、前衛的な美術に関わっていた人たちは「岡本太郎ともあろう人が国家権力に加担するとは何事か!」と反発したけれど、そうじゃない。彼は太陽の塔を通して、「人類の進歩と調和」という万博のテーマや政治的理念に強烈な“否(ノン)”を突きつけました。それが彼の唱える対極主義です。
黒口:太陽の塔の地下空間に展示されていた《ノン》が両手を前に出して拒否のポーズをしているのは、その意味が込められているんですね。岡本太郎は何を問いかけたのですか。
山下:その想いを最も象徴しているのが、太陽の塔の内部を貫いた《生命の樹》です。この全景模型をみると、アメーバから人類まで33種類の生物の進化が脈々と表現されています。