今思えば『セヴンティーン』とその続篇は、大江が右翼少年の感情に強引に共振しようとしていた。同時期に皇太子成婚の車列に投石した少年の姿に三島由紀夫は共鳴する一文を残し、実は天皇と一番縁遠かった石原慎太郎の前に投石少年が現われ、石原はたじろぎつつそのことばを書き留めた。
そうやって「文学」がテロ少年たちの政治的対話を世間に仲介することも今やなく、考えてみればヘイトデモはあっても文学青年の代わりにヘイト青年がいて、何より「テロ少年」がこの国にはもういないのだ。逆説的に記すが、それはひどく不健全な社会ではないか。
※週刊ポスト2018年11月2日号