「僕にとって、文字通りの“ライフワーク”だと思っています。特に野球教室でユニフォームを着ている時は、何歳になっても気分が高まる。“いつまでも続けられるように頑張ろう”という活力が沸いてくる。
むしろ、“病気だから無理しないで”と周りから気を遣われることのほうが辛いんです。もちろん個人差はあるけど、患者本人が今まで通りの仕事ができるつもりなのに、周囲が気配りでその機会を奪ってはいけない」
そう考える背景に、亡くなる直前まで「野球」という仕事に向き合い続けた“先輩”の存在がある。1月に膵臓がんで亡くなった星野仙一氏(享年70)だ。
「がんだとわかった時点で、仙さんには連絡をしました。報告すると、かかっている病院名などを聞かれ、“そこなら大丈夫。安心して治せ。それにしても大事が起きた時しか連絡してこんな”と笑い飛ばしてくれた。
ただ、自分もがんだということは口にしなかったし、仙さんの殿堂入りパーティ(2017年12月)でも、むしろ僕の病気を心配する言葉をかけてもらった。それがまさかこんなことになるとは……」
楽天副会長だった星野氏は、最後までコーチ会議に出たいと口にしていたというが、「まさに“グラウンドで死にたい”という言葉通りに、仙さんは覚悟を決めて仕事を続けていたのでしょう。幸せな人生だったんじゃないでしょうか」と大島氏は語る。