岩下氏は球団と両親に白血病と診断されたことを報告し、球場のロッカーを引き払って入院生活に入った。当初は鉄アレイを病室に持ち込み、筋肉が少しでも落ちないようにトレーニングを続け、食事も残さず食べて体重を落とさないように心掛けたという。
しばらくして、少しずつ不安に苛まれるようになった。インターネットで病名を検索するなどして、治療が長引くことが少なくないこともわかってきた。プロ入り2年目だというのに、このまま野球ができなってしまうのかという不安が膨らんでいった。
「さらに、抗がん剤の投与が始まると、体への負担も加わりました。投与は毎月1回で、計4回。1回の投与は1週間ぶっ通しで、体力が回復した時点で翌月の投与になるかたちです。1回の投与が終わって体力が回復すると一時退院できるんですが、家に帰ると二度と病院に行きたなくなりましたね。それぐらい辛かった。
点滴で投与された後は、しんどくて何もする気がしませんでした。事前に副作用の説明はありましたが、実際に吐き気がして、入院2か月目あたりから髪の毛が抜けてきた時は、さすがにショックでしたね。でも、これを我慢しないとマウンドに戻れない。仕事がなくなってしまうと考えると、耐えるしかなかった」
◆「“奇跡”でなく“復活”と書いてください」
救いになったのは、主治医が球団の編成担当に“退院後は再び野球ができる”と説明し、球団からは“来年も契約するので、病気を完治してほしい”という言葉をもらっていたことだった。「再び一軍のマウンドに立つこと」が目標になった。
「ただ、野球中継はほとんど見なかったですね。見るのが辛かった。スポーツ紙も見ないようにしていたと思います。病気を治せばマウンドに立てるじゃないかという前向きは気持ちと、本当に大丈夫なのかという不安が交差していました。最終的には、“この病気(骨髄性白血病)は規則正しい生活をしていてもなる病気なんだ。交通事故に遭ったようなものだ”と受け入れるしかなかった」