「相葉くんは突然の展開にオロオロし、絵の道を志していた大野くんはあまりデビューに興味がなさそうにも見えました。櫻井くんは、アイドル活動は大学入学までと言っていた時期もありましたし…。舞台の演出家になりたかったニノはデビュー前の1999年1月に“今年いっぱいで辞めます”と事務所に伝えたこともあったとか。松潤は前向きでしたが、5人結束してのスタートという感じではありませんでした」(前出・芸能関係者)
実際、二宮は本誌女性セブン(2014年5月22日号)のインタビューで結成時の心境をこう明かしている。
《嵐も期間限定のグループだと思ってたから、9月に結成してもワールドカップバレーボールが終わる頃には辞めようと思ってたの》
5人で出演した番組(2009年1月NHK『ザ少年倶楽部 プレミアム』)でも二宮は、「(5人のうち)辞めたいやつが3人もいるなかで、応援する人いるのかな?」とかつてを振り返った。
V6から引き継ぎイメージキャラクターに就任したワールドカップバレーのテーマ曲であり、1999年11月に発売されたデビュー曲『A・RA・SHI』は96万枚を超える大ヒットでオリコンチャート初登場1位を記録。シングル発売直前に出演した『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)での「スケスケ衣装」は今も語り草だ。
グループ初の単独コンサートは2000年4月。大阪城ホールと横浜アリーナ(神奈川)にて3日間6公演で計9万人を動員した。当時10才で、母親と一緒にコンサートへ行った櫻井ファンのA子さんが振り返る。
「コンサートは昼夜2部制で、申し込んだチケットはすべて当選。この時は私たちのように、全公演に繰り返し足を運んだファンがほとんど。女子ばかりのなかに男子の集団がいて、“あ、メンバーの同級生たちだ”って話題になりました(笑い)。プラチナチケット化した最近のコンサートからは考えられない、恵まれた時代でした」
熱心なファンたちが見守る横浜アリーナの最終公演で、ハプニングが起きた。ステージ上でメンバー全員で手を組んだ際、突然、櫻井が号泣したのだ。
「自分が選んだ道が正しかったのかよくわかりませんでしたけど、今は嵐でよかったと思います」
そう言葉を絞り出す櫻井の肩をメンバーがそっと叩く。櫻井の男泣きにより、まだひとつになり切れていなかった5人の心が重なった瞬間だった。
※女性セブン2019年2月28日号