動画のためなら他人を巻き込むことを厭わない。こう、思われがちなYouTuber。EP1で早速「YouTuberかなんだか知らないですけど、普通の人巻き込んで非常識だと思いますよ!」と注意されるショウ。当人が抱える苦悩が漏れている、そこから物語に引き込まれていく。
続いて、気になっている方も多いだろう“はじめしゃちょー”の演技力について。ショウ役は想像以上に良かった。しかし、考えてみれば当たり前。普段の動画と同じにように“はじめしゃちょー”を演じれば良いのだ。堂に入った演技は、助演を務める技巧派俳優陣に囲まれていても浮いてなかった。
逆にしんどかったのが、ドッペルゲンガー役。サスペンスドラマにおいて、視聴者はもう1人のショウに人外的な恐怖を求める。しかし、演技初挑戦の“はじめしゃちょー”には荷が重すぎる。狂気を一切感じられないドッペルゲンガーに仕上がっていた。怖さのレベルを例えてみれば、中学生の反抗期ぐらい。初主演で一人二役、配役からしてハード。しかし、最後までやりきった“はじめしゃちょー”はなんだかんだスゴい。
やりきる力と軽薄短小さ、YouTuberの魅力はココに集約される。彼らが公開する動画に前知識はいらない。エンターテインメントでも美術、文学、映画とは異なる文脈。敷居は極端に低く、誰しもが楽しめるウェルカム体勢。よって低年齢層のファンが増えるのも納得できる。
人気YouTuberは笑顔を振りまく。撮影場所が自宅といったことも多い。動画の隅々から垣間見える余裕と景気が良さそうな暮らしっぷり(芸能人のお宅訪問とかもう死語)。鬱屈とした世の中で人生を謳歌しているYouTuber。テレビのゴールデンタイムに子供も楽しめるバラエティ番組が減った昨今、小学生の羨望の眼差しが集って必然。
意外と鋭い目線を持つ子供、YouTuberが問われているのは人間性だ。面白い動画を作る以上にそれが1番大事。毎日観ても食傷しない顔、口調、そしてリアクションとオーラ、そして諸々。YouTuberと視聴者は1対1の関係、構造としてはテレビよりもラジオに近い。動画ゆえラジオ以上に情報量は多く、素顔を隠して配信を続けるのは難しい。先天的にタレント性を持った人以外、YouTuberで稼ぐのはムリだろう。
『The Fake Show』もそういった意味では同じだった。ストーリーが兎に角難儀で、話が想像もしない方向へと進む。良い意味で予定調和がなく、悪く言えば突飛。ドラマというよりは“はじめしゃちょー”の魅力を詰めたプロモーションビデオに近い。鑑賞者の多くは“はじめしゃちょー”だから観るはず。そう考えると普段公開している動画と変わらない気もする。つまり、ドラマとしてはなんとも不完全燃焼な出来だったのである。
●ヨシムラヒロム/1986年生まれ、東京出身。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。イラストレーター、コラムニスト、中野区観光大使。五反田のコワーキングスペースpaoで週1度開かれるイベント「微学校」の校長としても活動中。テレビっ子として育ち、ネットテレビっ子に成長した。著書に『美大生図鑑』(飛鳥新社)。