こうした事情から、皇太子はやむなく2004年5月に「人格否定発言」をご発言、多くの波紋を呼んだ。宮内庁と東宮家の間は隔たりが大きくなったようにも見えたが、この発言によって、ようやく雅子妃に精神科の専門医がついたのだ。同年7月に、ご病気は適応障害と正式に発表されたが、雅子妃がご病気になってから、3年以上もの歳月が経過していた。
「早期治療ができなかったことは、雅子妃のご回復までを長引かせている要因の一つかもしれません」と東宮関係者が語るように、今でも悔やまれる対応だった。
精神疾患には、治療をサポートする周囲の環境が絶対に必要だった。皇太子は、ご病名発表後も宮内庁からの理解が完全とは言えない中、たとえ“雅子さまワールド”と揶揄されようとも、雅子妃を支え続けてこられた。愛子さまの成長なさる存在も大きかったという。
こうして、雅子妃はご家族と東宮職に見守られて、その時にできる公務を懸命に続けてこられた。ご体調によっては、急遽お出ましになれなかったり、反対にその日に出られることもあったりしたことから“ドタキャン”“ドタ出”などと皮肉な表現で報道されることもあったが、ご公務の回数よりも継続を目標に据えて歩んでこられた。
今でもご療養中の身であることに変わりないが、そのご努力は実を結びつつある。皇太子妃としての思いは確実に国民に届いている。
●とものう・なおこ/1961年生まれ。新聞、雑誌記者を経て2004年に独立、フリージャーナリストに。著書に『ザ・プリンセス 雅子妃物語』(文藝春秋)などがある。
※SAPIO2019年4月号