しかし、「斗」は闘いとは全く無縁の漢字である。これは柄杓という意味だ。北の空に柄杓状に星が並んでいるから北斗七星である。柄杓は酒などの量を斗(はか)る。だから、「はかり」「~ばかり」と読む。ところが、近時意味を知らずに人名にしばしば使われる。例えば「雄斗(ゆうと)」。雄々しく闘うのつもりかもしれないが、「雄(おす)ばかり」としか読めない。男子寮だろうか。
こういう無理読みは、暴走族の夜露死苦(よろしく)と同類だから、私は暴走万葉仮名と名付けた。我ながら良い命名だと思う。キラキラネームなどというよりよほどいい。
「令和」は、暴走してはいないけれど、万葉集から取られた。これまで支那古典から取られていたので、国粋主義の表われか、などの声も出ているが、つまらぬいいがかりである。漢字すなわち支那文字である以上、四書五経から取ろうが万葉集から取ろうが同じことだ。平仮名でも片仮名でも元は漢字である。
新元号を子供の名前につける親も出てくるだろう。それはそれでよい。明治(あきはる)だって大正(ひろまさ)だって昭和(あきかず)だって平成(ひらしげ)だっているだろうし。ただ、暴走読みはやめるべきだ。「令和(れいな)」など、和(なごむ)の「な」のつもりかもしれないが「和」全体で「なごむ」である。この伝でいけば、「醜女」で「みお」、「塵芥」で「ちあ」も可能になる。
新元号原案には令和の他に「万和(ばんな)」もあった。これは暴走読みではない。連声(れんじょう)である。前の文字のンが連らなりナとなった。「観音」「反応」も同じ。「音」単独で「のん」はなく「応」単独で「のう」はない。「天皇」も「皇」が連声で「てんのう」である。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。
※週刊ポスト2019年4月26日号