掌典長から宮中祭祀の講義を受けられる美智子さま(時事通信フォト)
内掌典の重要な役目の一つが、御殿の御燈(ごとう)の油を継ぎ足すことだ。この火を消してしまうことは許されない。地震の時、内掌典はすぐに、それが真夜中であろうと御殿に行かねばならない。
ゆえに、寝間着も昼間と同じ着物を着る。急に御殿に行く時は上の寝間着だけは昼着に着替えて御燈の無事を確認しに行く。会って何回目だったろうか、高谷はこの御燈にまつわるいささか神秘的なエピソードを教えてくれた。
昭和天皇の病状が重篤となった時のことだった。御燈に油を注いでいた時、ふとその揺らめく、まさに幽玄な雰囲気の中で揺らめく火の向こう側に昭和天皇の姿が浮かびあがったという。高谷は、御上がお姿を見せてくれている、と感激に震えた。それが、病状が深刻になる毎に、その現われる姿が徐々に薄くなっていったという。
高谷のもとには、ひっきりなしに若い内掌典が指示を仰ぎにやってくる。内掌典の仕事に文書化されたマニュアルはない。全ては口伝で教えられる。昭和18年に宮中に入り、57年間にわたって内掌典を務めた高谷はまさに生き字引だったのである。
そして高谷は、宮中の目撃者でもあった。
昭和20年8月14日。終戦前日。高谷は、皇居を近衛部隊の数十名の兵隊が大砲のようなものを引っ張るなど、喧しく走り回っていた姿を目撃する。後日、兵隊らは玉音放送の録音盤を奪おうとしていたことを知らされる。
内掌典として宮中に入る時、念を押された一つが、一度宮中に入れば、親の葬儀以外に外には出られないというものだった。そうした内掌典を不憫に思って昭和天皇が配慮し、天皇らと一緒に映画やニュースを見るような機会を持ってくれた。
◆児玉博(ジャーナリスト):1959年生まれ。早稲田大学卒業後、フリーランスとして取材、執筆活動。著書に大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)の受賞作を単行本化した『堤清二 罪と業 最後の「告白」』(文藝春秋刊)、『テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅』(小学館刊)など。
※週刊ポスト2019年5月3・10日号