──細川をどう口説いた?
小沢:何ていうことはない。「あなたは、総理だ」と。「あなたが総理になって、自民党政権を変えなくてはいけない」と。新党さきがけ代表の武村正義は自民党との連立志向だったから、ものすごく抵抗しましたが、「自民党と連立したら政治改革なんてできなくなる」と言いました。細川さんは「一晩、考えさせてくれ」と。翌日かな、「武村とも話して、わかりました」となった。
〈総選挙から22日後、非自民・非共産の8会派による細川政権が発足。55年体制が崩壊し、自民党が結党以来初めて下野した瞬間だった。〉
◆短命に終わった細川政権(1994年4月)
〈細川内閣は翌年の通常国会で政治改革法案を成立させ、小選挙区制導入が決まった。しかし、政治改革を旗印に集った8会派は、同法案成立の目処が立つと、急速に結束が乱れていく。1994年2月に細川護煕首相は税率7%の「国民福祉税」を突然に発表するが、与党内からの猛反発を招き、今度は突然撤回する。国民福祉税の発表は、「小沢と斎藤次郎・大蔵事務次官が筋書きを書いた」と批判された。〉
小沢:(筋書きを書いたのは)その通りですよ。やらなきゃいけないと。ところが細川さんは会見で税率7%の根拠を質問されると「腰だめの数字です」って、そういう言い方をした。政策というのは、「こうした根拠があって、この数字です」と説明して、了解を求めなきゃいけません。それなのに「腰だめ」なんて言っちゃったもんだから……。