車が無くてもどうにかなるという都市部住まいにはピンとこないかもしれないが、こうした人々にとって、車は生活の一部。あって当たり前。なければライフラインの確保すら難しい。鳥取県の山間部に両親が住んでいると言う都内在住のエンジニア・福永徹さん(仮名・50代)も、同様の悩みを訴える。
「老人から免許を取り上げろ、というのは乱暴かもしれませんが一理ある。しかし、車は高齢者にとって単なる移動手段ではなく、コミュニケーションの手段でもある。そうした現実を踏まえた上での議論がなされていないような気がします」(福永さん)
福永さんの母親は、鳥取西部の実家に一人暮らし。70代後半まで車を運転し、週に一~二回のペースで街に買い出しに出かけていたが、スーパーの駐車場で自損事故を起こし、スーパーの従業員や近隣住民から運転を止めるよう強く促された。ついには近隣住人から嫌味を言われるようになり、母親は車を鍵付きの納屋にしまい、鍵を福永さんの元へ送ってきたというのだ。
「週に一度、移動販売車が来るので生活はできる。しかし、趣味の日本舞踊や友人に会いに行くということはほとんどできなくなってしまいました。タクシーやバスを使えばいいと言われるかもしれないが、特に田舎の老人は公共交通機関を利用し慣れておらず、金もかかる。そもそも実家には、早朝に街へ行くバスと、夕方街から帰ってくるバスしかない。利用したくとも現実的な選択肢ではありません。高齢ドライバーの運転は確かに危険ですが、うちの母親などは“そのまま老いて死ね”と言われているような気持ちでいます。一連の報道を見て、そんな気持ちも押し殺す他ない、というのが本音でしょう」(福永さん)
冒頭で紹介したような「美談」が数多く報じられた結果、免許返納や運転をやめ、息を潜めるようにして生きるべきだという圧力が醸成されているのではないか。そう感じるのは高齢者だけではない。北関東在住の主婦(58)は、左足足首を怪我し、歩けはするものの、転倒などせぬように念の為に杖をついていた。ある日、主婦が買い物帰りに車に乗り込もうとしたところ、近くにいた客に衝撃的な一言を言われてショックを受けた。
「ホームセンターの駐車場で、杖をついて車に乗り込もうとしていると”こんなババアが事故を起こすんだ”と、見ず知らずの中年男性に面と向かって言われました。男性に何があったのか知りませんが、あまりにもひどい。オートマだから左足は使わないし、医者からも運転に支障はないと言われている、そもそも年齢的にも高齢者とは思われたくない。高齢者だけでなく、中年の私たちでさえ、危ないから免許を取り上げろ、そう攻撃される日が来るようで恐ろしいのです」(主婦)
当たり前だが、認知機能の衰えた高齢者の運転は危険だ。高齢ドライバーが引き起こした事故で命を落としたり、怪我をした方々の存在を知っていれば、高齢ドライバーというだけで穿った目で見てしまうこともあるかもしれない。だが、一律に免許を返納させれば解決される問題だろうか。
前出の平成28年交通安全白書でまとめられていた年齢層別死亡事故件数をみると、75歳以上の次に多いのは16~24歳だ。だが高齢者のように、若者から取り上げろとはならない。運転するのに不適格な者が免許を取り消されるだけだ。
免許の返納は場合によっては解決方法となるだろうが、プロセスを検討せずに圧力だけが高まってしまうと、本当の問題解決から遠ざかるのではないか。高齢者の日常まで奪ってしまうような論調ばかりが先行するようでは、また別の問題が顕在化することになる。