致死薬「ペントバルビタール」
病の進行とともに便秘に悩まされるようになった。2017年夏、急な便意に対応することが難しくなったため、自室にポータブルトイレを設置した。強い薬の作用によってトイレに間に合わず、恵子さんの手を借りて、排泄の後始末をした出来事を綴った上で、小島さんは《自分の弱さを人前にさらけ出すなんて、そんなことをする勇気もないし、下の世話を受けることに慣れていくことも自信が無い》と述べている。
2017年11月に大学病院に入院する。治療目的ではなく、症例数の少ない多系統萎縮症の研究データを収集するためだ。
この病院では、小島さんの病はまだ未解明のため、献体や臓器提供は難しいと医師から告げられた。医師は、こう続けた。
「小島さんは入院もしくは施設入所を希望されていますが、今の状態ではどちらも入ることは難しい。小島さんより重症な高齢者のかたが実際多いですし、申し込みをして待機している人よりも先に入るのは不可能です」
日本の医療界の現実だった。
2018年に入るとブログの投稿が減った。キーボードを叩くことが難しくなったのだ。顔の表情もうまく作れなくなった。2月には「能面」というタイトルで投稿している。
《個人的に表情の豊かな人って好きです。特に笑顔の素敵な人って大好きです。(略)私はもう逆立ちをしても、相手に包容感を与えるような笑みをすることは出来なくなりました。能面のような私の顔…決して好きではないけれど、こんな表情していても、そこには悦びとか哀しみが、都度、込められているのです》
ブログはその後、いったん休止する。彼女はその間自殺未遂を計4回、繰り返したという。首つりを試みるたびに姉が発見し、思いとどまらせた。4度目は精神安定剤を大量にのみ込み、意識不明に陥り搬送された。女性セブンの取材場所が病室だったのもそのためだ。
自ら死ぬことも叶わなかった。姉たちをはじめ周囲の不安も煽ってしまった。最後に辿り着いたのが、安楽死だった。
※女性セブン2019年6月27日号