スー:あまり認知されていませんが、美人に生まれた女だからこその損というものが、この世にはあるんだと思います。今回の対談集では、美人はそれほど得をしていないということについてもじっくりと話し合いましたよね。
中野:美人であること、若いことは一般的に世間からは得であるとみなされますよね。でもよく考えると美や若さって長期的には使えない価値なんです。減り続けるしかない貯金のようなもの。目減りしていく一方の価値に自分の存在意義を見出すのは、危うさしかない。だから、私は容姿の美しさを強みにしていない方が人生においては長期的に見て得だと思っています。
スー:いきなりそう言われてもピンと来ない人もいるでしょう。モテるとか、世間からの扱いがよくなるとか、美人だからこそ得しているように見える場面がたくさんありますから。でも、若さや美貌のような目に見える得って、人生の資産としては蓄積されない。
中野:社会には目に見える損と、目に見えない損があって、美人というだけで目に見えない損を被っている側面がある。ただ、美人でもそうでなくても、その目に見えない女の損がどういうものであるかをちゃんと認識するだけでも、戦略の立て方は大きく変わってくると思いますよ。
スー:「レディースデーやレディースセットがあるから女が得だよな」なんて言われがちですけど、あれも本当に大きな誤解ですよね。
中野:本当にそう。世界中の多くの国で、女性は男性の4分の3程度しか賃金をもらえていないんですよ。たとえば日本の男女間の賃金格差も深刻で、女が貰っている賃金は男より約26%も少ない。男の方が高い賃金を貰っています。その差がレディースデーのような見かけばかりは目立つけれど実際には26%には満たない得で還元されるかというと、当然足りません。
スー:という話をすると、「女は出産・子育てもあるし、出世する気がそもそもないだろう」「高い賃金をもらえないのは女側の努力不足もあるはずだ」という反感の声があがってきますよね。でも「女は生まれつき男より能力が劣っている、だから管理職に就いている人数が少ないんだ」という言い分が通るのなら、「日本の年間自殺者約2万人の7割が男性であるという事実は男が生まれつき弱いから」という言い分も通ってしまう。そうじゃないでしょう。
堂々巡りだけど、やっぱりこれも社会の仕組みの話なんですよ。社会規範に縛られて、がまんを強いられていることに気づいていない人たちが、そういうふうに思い込んでいるだけ。自由に振る舞っている人を見ると腹が立つという人は、自分が普段がまんして生きているから腹が立つんでしょうね。
中野:そういう人は何が人生の楽しみになるかというと、残念なことですが、他人の失敗こそがエンタメ化します。他人が叩かれたり苦しんだりする姿を見ることが喜びになる。ただ、努力したくない人、能力に自信がない人の中には、そういった社会構造を理解していても、あえて見て見ぬふりをするやり方を選択している人もいるでしょうね。その方が楽ですから。
スー:でも最近、上の世代の女性と話していると、60代くらいのかたがたは「子供たちの世代はもう私たちの時代とは違うからね、同じものさしで測っちゃだめよね」という意識を持っている人が増えてきている気がします。これがもう少し上の世代になると、「なんで結婚しないの?」「子供を持たないでどうすんの?」という声がちらほら聞こえてくる。
もちろん世代だけじゃなくて個人差もあるんだろうけど、この違いはどこから来るんだろうなぁとは考えてしまいますね。そうは言いつつ、上の世代の女性たちが味わえなかった自由を、今の私たちが満喫していることは間違いないわけで。そこを「理屈がこうだから文句を言わないでください」というのもちょっと心情的には難しい話かもしれませんね。
中野:「私たちの時代は女は不幸だった」と食ってかかられたら、こちらは「それは不幸でしたね」としか言いようがない。過去は絶対に変えることができないから。でも、その出来事の意味、解釈はいくらでも変えることができる。脳の仕組みとして可能ではある。そこを理解してもらえたら、世代を超えてわかり合うことはもちろんできるはずだと思っています。
取材・文/阿部花恵 撮影/藤岡雅樹
※女性セブン2019年7月11日号