◆成人したわが子を「子ども扱い」する親と同じ
そもそも家父長主義は、その名が表すとおり父の子に対する絶対的な権力と上下関係を擬制したものであり、相手の成熟度と時代背景によっては許される場合があった。まず、相手が人間的に幼く未成熟だということが前提になっている。そして「教育」や「指導」のためなら少々の暴力や暴言が容認された時代があったことも事実だ。
戦前・戦後の時期、多くの会社では右も左もわからない少年少女たちを親代わりとして引き受け、仕事だけでなく生活面も含めて一から教育し、一人前の人間に育てあげてきた。吉本興業でも中卒や高校中退のやんちゃな子どもたちを手塩にかけて芸人、タレントとして独り立ちできるよう育成してきた。今の時代に認められないやり方があったとしても、その功績は認めなければならないだろう。
問題は、相手が成長し、一人前になっても家父長的な関係が続いてきたところにある。50歳に手が届くほどの年齢になり、テレビ界で活躍するようなスターになっても、吉本のなかでは子ども扱いされていたと知って驚いたのは私だけではなかろう。わが子がいくつになっても子離れできない親とまるで同じではないか。
家父長主義は蜜月状態にあるときは居心地がよい。だから、ついつい双方が甘えてしまう。そして、だんだんと支配する側とされる側が互いに相手に依存する「共依存」の関係から抜け出せなくなる。しかも外からは目が届かない密室だ。多くのパワハラやDVはこのような環境の中で起きている。
にもかかわらず、問題の本質が家父長主義そのものにあることにはなかなか気づかないものだ。
◆組織の仕組みを変えることが不可欠
吉本興業の社長会見でも今後の対応としてあげられたのは、マネジメントに携わる人をもっと増やすとか、コミュニケーションを良くし、芸人と話し合って理解を得るといった現在の延長線上にあるものばかりである。
だが、それでは抜本的な問題解決にならず、たとえ当面は収まりがついたとしても、ほとぼりが冷めたころには問題が再燃しかねない。また組織に囲い込んだままでは、彼らの能力や可能性を最大限に発揮させることはできない。