当時、明石家さんまのような人気タレントでも、吉本と、それ以外の事務所ではそれだけギャラに違いがあったのだ。
「でも、それからは番組のクレジットに、さんまちゃんの本名の『杉本高文』って名前が入るようになって、作家料をもらえるようになったの。積極的にネタづくりをしていたから、それもたけしさんが口利きしてくれたんじゃないかな? もう笑い話だけどね」
◆月収1億円以上あった
その後『ひょうきん族』でも確固たるポジションを確立し、人気急上昇中だった8年目。転機が訪れる。
「ある時、ひょうきん族の楽屋に当時の太田プロの社長と副社長がやってきて、いきなり『今までどうもありがとう』って土下座してきたのよ。わけもわからず、クビを覚悟したら『来月から歩合制になるから』って言われた。その時は『わかりました』って答えたけど、震えが止まらなくなっちゃって。すぐにたけしさんの楽屋に行って、『大変です! クビかもしれません』って言ったら、ちらっとこっち向いて『来月になったらわかるんじゃね?』って笑い飛ばされて相手にされなかった」
それから1か月後、彼女の給料は6倍になっていた。何をやっても月500万円が最大だったのが、歩合制に変わった途端、3000万円になっていたのだ。
「そこからはバンバンバンって上がってね、当時は月収1億円もらっているなんて言われてね。大阪の番組でポロっと言ったのが広まっちゃって、なんで馬鹿正直に言っちゃたかって後悔しましたよ。まぁ、本当はもう少しもらっていました(笑)。そのかわり、気絶したまま歩くぐらい働いていましたけど」
自身の冠番組も持つなどタレントとして大成功を収めた彼女は、「唯一天下を取った女性ピン芸人」とも言われる。しかし実は、父親から芸能界入りを反対されていた。説得にあたったのは、あの大御所。
「芸能界の仕事は1年で辞めるつもりだったし、25歳までに結婚するつもりだった。だから、父からは『おまえ、もうそろそろいいんじゃないか』と、常に言われていました。そもそも芸能界入りの時に相談に乗ってくれたのが関口宏さんで、父が立教大学の水泳部の選手だった時、関口さんのお父様が選手の面倒をみていてくれてね、家にも泊まり行かせていただく間柄だったの。それから今でも大切にお付き合いさせていただいているの。梅干しが大好きな方なので毎年、贈らせていただいているんですよ」