◆本当のエースは「決勝まで温存」
高校野球界随一の策士である明徳義塾の馬淵史郎監督も、歴代のチームとは明らかに異色の戦いをこの夏、繰り広げていた。
高知大会では最も信頼する背番号「11」の左腕・新地智也を決勝まで温存し、決勝までの4試合を他の3投手の継投でしのいだ。
「途中で負けてしまったら、それまでのチームやったということ」
馬淵監督はそう腹をくくっていた。
高知中学時代に150キロを記録した1年生の森木大智を擁する決勝・高知戦に、新地を万全の状態でマウンドに上げることで、明徳義塾は甲子園にたどり着いた。数ヶ月も前から、150キロのボールを打つ対策をしてきた。試合前は「試合中に練習より遅いと思えたら勝てる」とうそぶいていたが、打順の組み替えも功を奏し、策士として面目躍如となる決勝だった。
「120キロしか放れなくても、試合には勝てる。高校野球のお手本のような野球ができた」
甲子園での智弁和歌山との2回戦では、初戦で1イニングしか登板のなかった新地をマウンドに上げた。智弁和歌山の先発も背番号「17」の投手。ひと昔前ならふた桁背番号の投手を見れば、「相手をなめている」と思われて仕方なかったが、現代ではそうした見解を抱く者は皆無だろう。
智弁和歌山は、MAX149キロのエース右腕・池田陽佑と、小林樹斗というやはり140キロオーバーの2年生投手をブルペンで待機させた。こうしたもっとも信頼を置く投手を後半に起用する戦い方は、春の選抜で準優勝した習志野(千葉)も得意とする策で、主流となりつつある。
甲子園の戦い方は、大きく変貌を遂げている。