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「男性アイドル=ジャニーズ」を決定づけた1980年の転機

 その後、呼び名は『たのきんトリオ』として定着していき、3人はテレビ番組などで頻繁に共演していた。歌手としては6月21日に田原俊彦が『哀愁でいと』、12月12日に近藤真彦が『スニーカーぶる~す』でソロデビューを果たした。

 1990年代以降、ジャニーズ事務所からのデビューはSMAP、TOKIO、V6、KinKi Kids、嵐などグループばかりになった。もし1980年に田原俊彦と近藤真彦がソロではなく、『たのきんトリオ』の一員として歌手デビューしていたら、現在のようにジャニーズ事務所が繁栄していたとは限らない。

『ザ・ベストテン』(TBS系、1978~1989年放送)を例に考えてみよう。1980年代前半に毎週のように視聴率30%前後を叩き出し、多大な影響力を誇った同番組には、田原俊彦が1980年7月10日に初登場して以降、1983年7月14日までの156週連続で、田原か近藤のいずれかが登場した。3年間、ジャニーズ事務所の歌手が出続けたことで視聴者に絶大なインパクトを与えた。

 2人のランクイン数を合わせると1980年が田原26、近藤1の計27回、1981年が近藤48、田原45の計93回、1982年が近藤53、田原41の計94回になる(*ランクインを1カウント。つまり、1週に2曲ランクインしていれば2カウント。そのため1982年の発表は52週だが、近藤は53回を数えた。これは『ザ・ベストテン』における年間最多ランクインの記録である)。

 もし『たのきんトリオ』という1つのグループで歌手デビューしていたら、これほどのランクイン数の実現は不可能である。『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)など各局の歌番組にも、人気ソロ歌手が2人いたからこそ“ジャニーズ事務所の出演回数”を増やすことができた。

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