朝9時頃に江夏から電話があってね……。「風呂場で亡くなったそうだ」と伝えられました。
ちょうど一緒に本をつくっているところだったので、昨年末からよく会っていたんです。いきなりのことで動揺しましたね。ホテルの前の砂浜に座って、しばらくボーッと海を眺めていました。
〈江本氏が初めて野村氏と会ったのは、1972年1月。大阪・中百舌鳥(なかもず)での合同自主トレ初日のことだった。〉
ノムさんは監督で、4番で、正捕手というスーパースター。その日も、リンカーンに乗ってクラクションを鳴らしながらグラウンドの中まで乗り付けてきた。ドアを開けるなり「オレみたいな生活がしたければ、しっかりやれよ」と言うわけ。
そこで初めて声をかけられた。「去年は敗戦処理で投げていたけど、あの球をオレが受けたら10勝以上するぞ」と囁かれたんです。さらに、背番号16の真新しいユニフォームを手渡された。「今日からエース番号をつけとけ」と。東映で0勝のピッチャーですよ。そんなアホなと思いつつも、背中に電気が走りました。
一方で、オープン戦の初登板で打ち込まれると、翌日のスポーツ紙にはボクをこきおろすノムさんのコメントが載る。持ち上げておいて、これはなんやと闘志に火がついてね。次から必死に投げて勝ち続け、開幕第2戦の先発になれました。そこまでノムさんの計算だったのかもしれませんね。