その復活の舞台はないかと考えている時、1993年テレ朝で若手の勝ち抜き番組『GAHAHAキング』がスタート。芸人達になめられないよう最強の審査員をラインアップ。私とテリー伊藤、なぎら健壱、みうらじゅん。この番組で10週勝ち抜き初代チャンピオンとなって芸界に大復活したのが爆笑問題。2代目のチャンピオンがフォークダンス、そして3代目がますだおかだという目きき達ならではの選び方であった。
この後、爆問もフォークダンスも『ボキャブラ天国』でレギュラーになり人気者に。その時スタッフ、芸人らの間でも桶田の奇才ぶりは一目置かれていた。私はよく「これからは桶田が天下取るな」と言っていたらしい。太田が想い出していた。
そんな事を考えて病室でテレビを見ていたら『ザ・ノンフィクション』で「大助・花子の花子、余命半年宣告」。ガンと闘う花子ちゃんの姿をカメラは追う。一生懸命寄りそう夫・大助も大病したばかり。今年の元日、家で横になりながらテレビを見る姿。「元日、家で過ごすなんて35年ぶりやなぁ。いつもフジの生放送“爆笑ヒットパレード”で東京行ってたから……」そう私が40年間ずっと構成で携わった番組で「今年もよろしく」とあいさつしあってたっけ。
入院中「命」について考えた。
■イラスト/佐野文二郎
※週刊ポスト2020年3月27日号