渡航を予定していた2月下旬時点では、外務省の海外安全情報もまだ出ていなかった。状況の推移によるが、今なら入国できるかもしれない──覚悟を決めた私は、取材の目的を新型コロナウイルス関連に切り替え、2月27日に日本を出発、ベトナム入りを果たした(15日間の滞在を経て、3月12日に帰国。その後ベトナム政府は3月22日から全ての国・地域からの入国を停止した)。
感染症に関する取材では、自分が感染しないよう防護策を徹底することはもちろん、ウイルスを持ち込まないことが大前提である。ベトナム入国に際しては、過去の感染症取材経験をもとに、個人として考えられる限りの防護策を講じた。病院などの隔離施設での取材に備え、日本からはマスクにゴーグル、全身を覆う防護服を現地通訳の分と合わせて2人分持参。ベトナム入国時の検疫はもちろんだが、移動中のマスク着用、アルコール消毒や体温チェックもこまめに行い、体調管理に気を付けながらの取材となった。
◆「中国人だったら乗車拒否をするところだ」
冒頭で紹介したドン・スアン市場は、普段から中国や韓国からの観光客が多い。ベトナムの人からすれば、「黄色人種」の「短髪」で「リュックを背負っている」姿が、中国人か韓国人に見えたのかもしれない。顔を半分、マスクで覆っていたから尚更だ。
市場の女性が中国人や韓国人を警戒する理由は、当然ながら、ウイルスが中国・武漢から広まったこと、今年に入り中国での感染者が増え続け、韓国でも2月19日以降、大邱(テグ)市を中心に感染が急増していたことなどが背景にある。
たとえば、こんなこともあった。取材中、ベトナム中部の海岸沿いの田舎町、フーイエン省トゥイホア市で夕食に向かう際に利用したタクシーの車内での出来事だ。女性のタクシードライバーに、乗車後まもなく「中国人か?」と聞かれた。「日本人だ」と答えると、「中国人だったら乗車拒否をするところだ。もし、乗られてしまったら車を置いて逃げるつもりだった」と言われた。
私が日本人とわかっても、彼らの警戒が緩むわけではない。ベトナム入国後、ハノイで定宿にしているホテルに向かったが、私が到着するなり、ホテルスタッフから笑顔が消えた。フロントでパスポートを提出すると、すぐさま返され、フロント係はカウンターの上に置いてあった消毒液で自分の手を消毒していた。