◆軍は党に従順な「ヒツジ」
1918年の赤軍創設以来のソ連軍史は北朝鮮と同様に、軍に対する粛清、共産党の監視・抑圧装置強化の過程でもあった。軍史研究家ビクトル・ゾトフ氏は、「その結果、国外に対しては威圧的な大グマだが、党にはヒツジのように従順で、自分の意思を持たない巨大集団が育てられた」と指摘する。
旧ソ連に政治危機の兆しが見えるたび、西側では軍が主導権奪取へと動く危険が幾度も論じられた。だが、共産党自体の断末魔によって引き起こされ、自滅した党保守派クーデター(1991年8月)を除けば、軍が動いた例はない。
10月革命の時点で、ボリシェビキ(レーニンを指導者とするロシア社会民主党左派)は武装労働者から成る「赤衛軍」2万人に加え、政治煽動を通じて臨時政府側の陸海軍兵士21万人を自陣営に引き込み、革命を支えた。続いて、軍事人民委員(国防相)のトロツキーは、旧帝政軍を主体とする「白衛軍」や外国干渉軍との国内戦を戦う必要上、旧帝政軍将校2万2000人を赤軍に編入した。
◆軍内を監視する「政治将校」を配置
同時に、これら将校の反革命言動を監視するため党活動家(イルクン)の「軍事委員」を配置する措置が決まり、ソ連崩壊まで存続する政治将校制度の基盤が築かれた。
さらに、1917年末に発足した秘密警察「反革命・サボタージュ・投機行為取締非常委員会」は、赤軍内に監視網を設置。これは「特務部」網として、後の国家保安委員会(KGB)まで引き継がれた。
米ハーバード大のマーク・クレイマー博士は、「他の国でも防諜担当官が軍部隊に配置されるものの、ソ連軍の場合、秘密警官が一般将兵を装って潜入し、粛清の口実を探すなど極端な形態を生んだ」と指摘する。
◆軍の隅々まで「秘密警察」を配置
また、KGB要員は軍の中隊レベルにまで配属されており(北朝鮮の秘密警察である国家保衛省要員も中隊レベルまで配属されている)、固有の指揮系統を通じ上部へ報告する。些細なイデオロギー的逸脱も許されない綿密な監視・摘発体制が保持されていた。
軍史に詳しいアンドレイ・リャボフ氏(ゴルバチョフ財団)は、
「ソ連史を通じて、軍は共産党の抑圧政治を支える基盤であると同時に、自らボリシェビキ革命、スターリン主義の暴虐の被害者であった。軍は、党の圧政下での生存を運命づけられ、決して自ら権力を握る存在ではなかった。事あるごとにソ連の軍事クーデター発生を心配した西側は、連邦崩壊までその真理を理解しなかった」
と強調する。