女性には“狭き門”だった大学を出た2人の姉への対抗心、自分には農家を継ぐように勧めた父への反発から、「北大を出て弁護士か政治家」になることで見返そうとしたが、受験に失敗する。そして法政大学法学部政治学科(一部)に入学した。森氏が指摘する。
「本人の言葉とは逆に、菅氏は本当は教師になりたかったのではないかと感じた。当時の教師は子供にとって権威的存在。なりたくてもなれなかったとすれば学歴コンプレックスはあるだろうし、アカデミックな権威への反発、学者ぎらいの根っこにそんなコンプレックスがあるのかもしれない」
法政大学を卒業後、自民党運輸族だった小此木彦三郎・代議士の秘書となった菅氏は、中曽根政権の国鉄民営化をめぐる官僚や族議員の利権抗争を目の当たりにした。そして横浜市議時代に取り組んだ「みなとみらい」などの再開発事業では、旧国鉄用地の利用をめぐって学者から「用地売却は地価高騰を招く」と批判があがり、知的エリートの抵抗を肌身で知る。政治ジャーナリストの藤本順一氏が指摘する。」
「菅さんはみなとみらいなどの港湾地区の開発許認可をめぐる縦割り行政の限界と、融通の効かない学者や官僚への不信を募らせた。菅さんから見れば、彼らはやらない理屈を捏ね回して省益保護をはかるだけ。地方国公立大学の統合を進めるのも学者や官僚で出身者が多い東大閥の力を弱める意図が見えます。要は東大エリートの既得権益を打ち壊す。それが、コケにされてきた学歴エリートへの恨みの一撃でもあるのです」
苦学した菅氏とは対照的に、成蹊学園で小学校から大学までエスカレーター式に進学した安倍晋三・前首相も「学歴コンプレックス」があった。
ともに東大法学部出身の祖父・岸信介元首相と父・晋太郎氏を持つ安倍氏は“東大ぎらい”で知られ、安倍内閣で重用した“お友達政治家”に東大出身者はほとんどいない。