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2020.11.21 16:00  NEWSポストセブン

投手の引退試合は奪三振で終わるべき? 過去の名場面を回顧

後楽園球場で行われた引退試合で投げる金田正一投手(時事通信フォト)

後楽園球場で行われた引退試合で投げる金田正一(時事通信フォト)

 それから8年後、昭和45年4月2日には400勝投手の金田正一の引退試合が行われた。ヤクルトとのオープン戦で、6回表に3人目として登板した金田は1回を11球で6番・武上四郎を遊飛、7番・中村国昭を投ゴロ、8番・久代義明を三振に斬って取った。中村の打球はライナーだったが、金田がグラブで叩き落として処理している。

 巨人への闘志を剥き出しにして立ち向かった阪神・村山実の引退試合は、昭和48年3月21日、甲子園球場で行われた巨人とのオープン戦だった。7回に登板した村山は高田繁、末次利光、王貞治に対して12球全てフォークボールを投じ、3者連続三振を奪ってプロ野球生活に幕を閉じた。この日、村山の永遠のライバルである長嶋茂雄は3日前の死球と扁桃腺が腫れていた影響で、ベンチ入りしていなかった。試合後、王はこうコメントしている。

〈別に打合わせたわけではないんだが、前の2人の三振をみていてやっぱりこういう形で送り出してあげるのが一番いいんじゃないかと思ってね〉(昭和48年3月22日・朝日新聞夕刊)

 現在のところ、最後の300勝投手である近鉄・鈴木啓示は昭和61年3月16日、阪神とのオープン戦で花道を飾った。2回にマウンドに上がり、掛布雅之と対戦。3球連続ボールの後、掛布が三度空振りして三振。自ら“道場”と呼んだ藤井寺球場を後にした。

「真剣に打ってくれて、うれしかった」

 別所も金田も村山も鈴木啓示も、最後の打者から三振を奪っている。昭和の頃から慣習はあったようだ。しかし、必ずしもラストバッターが打ち取られているわけでもない。

 昭和34年にシーズン38勝を上げた南海の大エース・杉浦忠は、昭和46年3月25日の巨人とのオープン戦(大阪球場)。5回終了後にゲームを中断し、特別に立教大学時代の盟友である長嶋茂雄と対戦した。結果は、センター前ヒットだった。試合後の記者会見では〈向うも真剣に打ってくれて……。妙なことをしてもらうよりあの方がうれしかった〉(昭和46年3月26日・朝日新聞)と語った。それから、27年後にもこう述べている。

〈2球目をセンター前へはじき返されてねえ。三振してくれるとばかり思ってたら……。1球目の外角直球があまりにいいボールだったから、つい本気になったんでしょう。最後に長嶋の本能を呼び覚ますことができて、うれしかった〉(平成10年10月28日・毎日新聞大阪夕刊)

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