鎌倉時代以前に制作された『百鬼夜行』の絵巻を見ると、群れの中に赤い肌や角が生えた“鬼らしい”姿もある一方で、現代人が“化け物”や“妖怪”と表現するような異形の鬼も多い。鎌倉時代までの鬼は今で言う化け物・妖怪の総称であり、その姿は多種多様だったのです」
その後、南北朝時代(1336~1392年)頃から、鬼たちを武将たちが退治する絵物語が生み出されるようになっていく。その代表例が京都・大江山の鬼を描いた『酒呑童子』であり、「角を持ち、筋骨たくましい」姿が絵巻で描かれた。この話が広く流布した結果、酒呑童子は「鬼の代名詞」となり、今日に近い鬼のイメージが固まっていったようだ。
鬼といえば“邪悪で排除されるべき存在”と見られがちだが、一方で畏怖の対象でもあった。たとえば中世の人々は、魔除けのために鬼の彫刻を施した「鬼瓦」を屋根に据えた。つまり鬼は邪悪なものを追い払ってくれる頼もしい存在でもあったのだ。
現代に根付いている行事でも、鬼を「ありがたい存在」として捉えるものは少なくない。
1年の区切りの日である「節分」の鬼は、豆をぶつけられて退散しながらも、1年分の“穢れ”を全て吸い取ってくれると考えられてきた。
秋田県の「ナマハゲ」は、子供たちを脅かしながら“親の言うことを聞きなさい”と道徳教育を施し、村落社会の秩序や権威を強化させる行事になっている。そのため秋田ではナマハゲの来訪は歓迎され、神の使いと考えられている。
“時代の裂け目”で登場
「鬼の性格やイメージには多様性があります。『酒呑童子』も、山から下りて都で悪行を働きますが、鬼から見れば都の勢力(人間)こそが自分たちの場所を奪った“鬼”ともとれる。人間への恨みから鬼が生まれ出るという物語は多く、中には人間に対して慈悲深い鬼や、人間にこき使われる鬼もいる。元人間ながら鬼にならざるを得なかったという物語もあります」