誠に優れた、民主主義思想である。このような民主主義が確立されていれば、国は安泰、人々の生活も安心だと思うが、そう簡単にはいかない。ここに掲げられた民主主義が簡単に実現できるものではないからだ。アメリカは一部のエスタブリッシュメントと国民が分断されてしまった。ワシントンと有権者、金持ちと庶民、そしてメディアと国民の間にも大きな溝ができてしまったことを、今回の大統領選挙ははっきりと見せつけた。トランプ氏を支持したのは、必ずしも一部の過激な右派ではない。そうしたエスタブリッシュメントに対する多くの国民の不満と憎悪がトランプ氏を大統領にしたのである。これはポピュリズムではあるが、白人が主体であったところに問題がある。
筆者は、コロンビア大学ジャーナリズム・スクールの学部長を務めたジョーン・コナー氏と12年間、仕事で親交し、彼女から学ぶ機会を得た。同スクールは、あのジョセフ・ピューリッツァー氏が創設した学府である。ピューリッツァー賞は、今もジャーナリズム界の金字塔である。
コナー氏はいつも、「民主主義は理想であり、それを説くことはできるが、実現することはできない」と話した。社会は民主主義に限りなく近づくことはできても、民主主義そのものにはならないというのである。そしてコナー氏は、「ジャーナリズムの使命は、民主主義を広め、その実現のため努力し続けることだ」と説いた。そのためには、メディア同士が相互監視し、質の向上を図らなければならないと強調していた。
大統領選挙がメディアに翻弄され、メデイアが大統領選挙を形作り、メディアが大統領を決めているとさえ思える今こそ、彼女の言葉は重みを持つ。フェイク選挙はフェイクメディアが作っており、その責任が大きいことが今回の選挙ではっきりした。トランプ氏の言う「フェイク」とは違う。たとえ報道内容が事実であっても、特定の党派や候補を支持するためにニュースを「作り」、世論を「動かそう」とすることがフェイクなのである。
もうひとつ忘れてはならないことがある。メディアが正しくてもフェイクでも、暴力や脅し、襲撃や暗殺は絶対にあってはならない。不寛容は民主主義を否定し、討論を妨害する。
メディアでこんなことは書くべきではないかもしれないが、バイデン大統領は暗殺のターゲットになりやすい立場にある。トランプ前大統領を熱烈に支持する陰謀論者の集団QAnon(キューアノン)やネオナチなどのグループのなかには、バイデン氏やその政権を襲撃する計画を準備している者もいるとされる。トランプ氏は、そうした計画や実行は決して許されない、と明確に言わないままホワイトハウスを去った。むしろ過激グループの攻撃をバイデン氏に向けさせて去ったという意見もある。極めて危険である。
アメリカの歴史で大統領の暗殺、暗殺未遂は何度も起きているが、1963年11月22日、ダラスで起きたジョン・F・ケネディ大統領暗殺は最も衝撃的な事件だろう。筆者もこの事件には特別な思いがある。
30年ほど前のある夏の午後、筆者は、ニューヨークのウエストサイドにあるCBSテレビにいた。ある人物のオフィスで、相当な時間、話し込んだ。その人物とは、当時3大アンカーマンの一人と言われていた、CBSイブニング・ニュースのダン・ラザー氏だった。二人が夢中で話していたのは、まさにケネディ暗殺報道についてだった。ラザー氏は、この大事件を誰よりも早くリポートした記者だったのである。
しかし、彼によればそれは全くの偶然だった。その日、ラザー氏はダラスで予定していたジョンソン副大統領のインタビューが不調に終わり、不機嫌だったらしい。暇そうにしていると、支局長は同氏に、撮影済みのビデオを持ってくる役割を頼んだ。ケネディ大統領のパレードを取材するために、カメラクルーが取材に出ていたのである。そんな仕事は彼がやるべきものではなかった。ラザー氏は記者である。カメラクルーと待ち合わせた場所で煙草をくわえて待っていると、前方で何か起きた気配を感じたという。急いで走って現場に着くと、あの忌まわしい場面に出くわしたのである。
ケネディ大統領は血だるまになってがっくり頭を垂れ、ジャクリーン夫人がそれを抱えて絶望していた。ラザー氏がすぐにニューヨークのCBS本社に電話すると、当時のテレビ界で圧倒的な人気と信頼を得ていたアンカーマン、ウォルター・クロンカイト氏が出た。クロンカイト氏はラザー氏に、「そこにいてくれ。現場に張りついてリポートしてほしい」と言って、「ケネディ凶弾に斃れる」という第一報を流したのであった。
偶然にも、この時初めて日米間の衛星中継が行われた。この最初の放送がケネディ大統領の葬式だったから、日本中が大きなショックを与えた。報道の最前線にいたラザー氏やクロンカイト氏にとっても衝撃は大きく、ラザー氏は、「生涯忘れない出来事だし、暗殺がいかに卑劣で卑怯なものか、まざまざと見せつけられた」と語った。