「しかし、皆、記事を読んでいない、そんな事実はない、と言うばかり。党幹部だけでなく、五輪担当相の橋本聖子氏や、各省庁のトップ級に聞いても、誰一人『中止の可能性』には触れないのです」(大手紙政治部関係者)
改めて確かめた連立与党幹部は誰も五輪中止報道について肯定しなかったため、日本メディアは取材の結果として「日本政府、英紙報道を否定」と一斉に発表した。また、オリンピックを開催するとなれば事前準備が必要となるが、警備を担当する警察庁関係者や、開催地である東京都の関係者に確認しても「中止らしい」という声が聞こえないだけでなく、準備は粛々と進められていると話したという。
結局、英紙の五輪中止報道における情報源が「誰が」の部分はもちろん、その英紙報道も日本の報道でも、その発言内容が正しいかどうかは今もって判然としない。
スポーツに政治が関わって欲しくない気持ちの人もいるだろうが、実際には切っても切れない関係にある。とくに、五輪となればなおさらで、スポンサーだけでなく、国々の政治状況が大いに反映されているのは言うまでもない。そのため、政治家の発言が大きな意味を持ってくるのだが、その報じられ方はスポーツ報道のそれと大きく違う。前述の「党幹部」がどの役職をさすのかを含めて、独特の習慣が存在するのだ。オフレコということであれば報道してよい、という前提で発言する政治家と、それを承知で取材して記事にするという「お作法」が受け継がれている。
なぜ、そのような「お作法」が受け継がれているのか、大手紙デスクが説明する。
「クラブ所属の政治部記者のネタ元なんて、ほぼ同じです。だから、政治系の大きな独自スクープを得た場合、他社が後追いできる性質のものである場合、つまり、ネタ元に当てさえすれば追いつける情報である場合は、総理や官房長官は政府首脳、首相秘書官などなら政府筋、と言い換えて、どこから得た話なのか同業他社にもピンとくる報じ方をします。そうでない場合、ネタ元がうちだけにこっそり話してくれ、本物のスクープが得られた時には、情報の出所を『丸めて』書く。つまり、ネタ元が政権幹部であっても、政権幹部とは書かず『関係者』や『周辺』など、要はボカして表現する」
ボカす濃淡の差はあるが、オフレコ発言を報じることが常態化しているため、その発言者はどの範囲なのかを示す用語が定まっているというのだ。報じられる側もそれを承知しており、個人名が出ないのである程度は気楽に発言するようになる。ボカす程度をどのようにするのかは日本マスコミの事情である。では、最初の英紙報道の情報源にあった「連立与党幹部」というのは、日本の政治部の作法とは違う人物である可能性もあるのではないか?
「正直なところ、日本のマスコミとはさまざまな点で取材方法も表現方法も異なる英紙報道に話したのが誰か、それが真実なのか、まるでわかりません」(大手紙デスク)
東京五輪中止に国民がどう反応するか、世界がどう見るかを確かめたくて、わざと中止に関する情報提供をした可能性もある日本の政治家が、正面からあらためて事実を問われても、本当のことを話す可能性は低い。それでも、報じられたら確認に走らねばならない。東京五輪をめぐっては、これからも似たようなことが何度も起きるだろうが、そのたびに日本の記者たちが走り回ることになりそうだ。