「不倫については小室さんが否定したこともあり、KEIKOさんとしては信じたい思いもあったんです。でも、その後、彼から直接釈明も謝罪もありませんでした。会見から数日後、小室さんの代理人を名乗る弁護士からKEIKOさんのお母さんに突然、電話があったそうです。『もう関係の修復は難しいので、お母様と話をしに自分(代理人)がそちらに行く』という趣旨の電話だったと聞いています。
小室さん本人からの連絡を待っていたら、弁護士を立てられ、さらに“修復困難”と一方的に告げられた。KEIKOさんとお母さんはひどくショックを受けたそうで、仕方なく自分たちも弁護士への相談を始めました」
その後は互いに弁護士を介しての“会話”となった。結局、不倫報道後、夫婦は一度も顔を合わすことなく、2020年春には、小室が離婚調停を申し立てた。
「調停はこれまで条件面が争われていました。KEIKOさん側は正当な条件を擦り合わせるために、小室さんの資産や収入の開示を求めていました。しかし、小室さんはなかなか応じなかった。そこに新型コロナで調停自体の進行も遅れ始めたのです。もっと長くかかるだろうと思われていましたが、今年に入って急展開。小室さん側が相応の財産分与を行うことで決着したのです」(2人の知人)
最後の離婚調停は2月中旬だった。小室は白い高級外車で東京家庭裁判所に現れ、一方のKEIKOも大分から上京していた。この日、2人は3年間で最も近い距離にいたという。だが、同じ部屋で顔を合わせることはなかったようだ。互いに別々の部屋で調停委員と面談。そして、約19年間の結婚生活にピリオドを打った。
「小室さんは離婚成立が現実的になった頃から、これまでを振り返ることが増えたようで、不倫が発覚する直前までは相当に自分本位だったという反省もあるようです。最後の調停では彼からKEIKOさんに面会を求めたという話もありますが、実現しませんでした。KEIKOさん側が拒否したのでしょう」(前出・2人の知人)
小室の不倫報道が離婚の発端だったとみられるが、前出のKEIKOの知人は、「やはり病気の後から小室さんの態度は変化していたと思う」と語り、こう続けた。
「彼の名誉のために言うわけではありませんが、手術後はKEIKOさんのために尽くしてくれた部分は確かにあったと思います。しかし、次第にKEIKOさんに対し、強く当たることも増えていった。特に言葉遣いが荒くなっていったそうです。
不倫報道が出る少し前には、KEIKOさんに何度か『(小室自身が)忙しくなるから実家に帰った方がいい』と助言していたそうです。そして別居生活が始まりました。いま考えれば、彼はその頃から離婚を考えていたのかもしれませんね」
直接言葉を交わすことのなかった3年間を、KEIKOはどのような思いで過ごしていたのだろうか。そして、小室との結婚生活をいま、どう振り返るのだろうか。
※女性セブン2021年3月18日号