時間だけはあったが、創作する気は起きなかった。感染拡大が懸念される中、自ら外で飲食する機会は避けた。ドライブ以外の気晴らしもすることができず、1年が過ぎていったという。柴田氏は、こう打ち明ける。
「音楽を創り、それを外に向かって発信するという活動は、僕にとって本当に大事なものの一つです。それなのに、音楽に向き合うことができない。
愚直に音楽にすべてを捧げてきたはずの男が、何故こんなに白けているんだろう? 燃え尽きてもいない。すり減ってもいない。もっと良い曲を書けるなら書きたいし、そのために努力をするつもりでもいる。けれど、どうしても本気で取り組むことができない。昨年一年間、一体自分に何が起こっているのだろうと毎日考えましたが、答えは出ませんでした」
「メタルマン」と呼ばれ、バンドの危機、癌との闘病など、数々の困難を乗り越えてきた柴田氏は悩み苦しんだ。彼に限らず、多くのアーティストがもがき、苦しみ、思い悩んだことだろう。
ファンが一緒に歌えないライブで、バンドが得たものとは?
そんな柴田氏を大きく衝き動かしたのが、2021年2月13日に愛知県東海市で開催されたイベント「鋼鉄フェスティバルVol.4 ANTHEM」だった。「鉄のまち」として知られる東海市にちなんだイベントで、ANTHEMがゲストとして招かれたのだ。ヘヴィメタル専門誌『BURRN!』の編集長・広瀬和生氏と柴田氏の公開対談、そしてANTHEMのフルライブの2部構成である。
愛知県にはその頃緊急事態宣言が発令されていたが、1席ずつ間隔を空けて配席し、収容率50%以内でチケットを販売するなど、感染対策を徹底して行い、イベントは決行された。「主催者として、イベントをキャンセルすることはありません。唯一キャンセルの可能性があるとしたら、ANTHEMの皆さんが辞退される場合のみです」という熱い主催者の言葉に心を衝き動かされた。
とはいえ、これまでのライブとは異なり、当初は戸惑いもあった。ANTHEMのライブは、いつもオープニングのSEが流れた瞬間にファンの拍手と合唱が起こる。「新しいライブ様式」の中では、ファンは歓声をあげることも、一緒に歌うこともできない。開演を告げるSEが爆音で会場に鳴り響いても、いつもバックステージまで届いていた、ファンの声はいっさい聞こえない。
しかし、ライブが始まり、ステージからファンを見て、柴田氏は感極まったという。
「僕たちのライブは、お客さんも皆、いつも一緒に歌ってくれていました。でもそれが歌えない。反応する時にも一切、声を出せない。それでも、もう手が腫れてしまうのではと心配になるくらいの拍手と、ふりあげる拳で、お客さんは精いっぱいのボディランゲージをもって応援の気持ちを表現してくれていました」
1年ぶりのライブであり、バンドも「ライブ勘」が100%は戻っていなかった。とはいえ、ライブの尊さをメンバー全員が実感した。柴田氏はこう語る。
「まったく目には見えないけれど、人と会うことや、ライブにはエネルギーの交換というものがあります。やはりコロナ禍の一番の弊害は、実際に人と会って、対面でそういうエネルギー交換をできないことなのではないかと思いますね。曲をつくることも、ステージに上がることも、僕にとってすべてのモチベーションの出発点は“人との交わり”だったのかもしれない。それがなくなった時、僕のエネルギーは失われてしまったんでしょうね。心からライブの尊さに気づきました」
自身が驚くほど消え失せていた情熱が、このイベントをきっかけに蘇った。東京に戻ったあと、柴田氏はすぐにスタッフ会議を開き、今年5月に延期されていたアニバーサリーツアーをなんとかして実行したいと伝えた。「理由は、この前のフェスティバルで皆が感じたことと同じだ。わかるよね?」と柴田氏が言ったら、全員が黙って力強く頷いたのだった。