心配なのはコロナでペットバブルが凄いこと
時代も、店も悪かった。でも許せないとムギさんは言う。なぜならその店は現在も営業していて、会社はより大きくなっているという。2000年代まで好き放題の荒稼ぎをしたペットショップチェーン、さすがに度重なる法改正で以前のような荒っぽい商売はできなくなったが、命の仕入れと在庫、そして処分というシステムは変わっていない。ペットショップチェーン一社あたりが仕入れる年間数百、数千の犬猫、このすべてを売り切り、売れ残りはすべて店舗や店員がすべて引き取る ―― 個人店ならまだしも、そんなことできるわけがない。しているわけがない。現に自治体、保健所の大多数が引き取り要請を拒否できるようになったいま、引き取り屋と呼ばれる闇商売が跋扈している。
「心配なのはコロナでペットバブルが凄いことです。さっきも言いましたが、続々とペットショップが増えてます」
既存チェーンが店舗拡大しているだけでなく、新規参入する業者も後をたたない。いまやコロナ禍で空前のペットブーム、犬も猫も、コロナ以前の市場価格の倍どころか3倍に跳ね上がっている。ブリーダーの規制や改正愛護法の影響もあるが、犬猫の生む数には限りがある。その奪い合いになっている。そして一生涯に渡り、一つの命を引き受けるという覚悟もないまま、玩具やアクセサリーを買い求めるように命を買い求めるような客が押し寄せる。返品だ、遺棄だ、そんな事例は枚挙にいとまがない。
ムギさんは辞めて十年以上を経た今も、心の後遺症で薬を飲み続けている。ペットショップの派手な看板を見ると吐き気がするし、ショーケースに陳列された犬や猫という光景もトラウマだという。ムギさんはごく短期間でペット業界とは手を切り、子どもはいないが結婚して幸せに暮らしている。体調の問題で活動などはできないが、保健所からお迎えした小型犬も2頭飼っている。大好きな動物たちの末路を日々思い知らされ、それに加担したという心の傷 ―― ムギさんを追い詰めたのは、残業代も一切つかず、休みも週に一度あるかないかの過酷な労働環境にもあった。動物に休みなどない、ご飯もトイレも毎日なのは当たり前だが、ムギさんの会社は超絶ブラック、新人は365日来て当たり前という社風で、動物も悲惨だが人間もまた悲惨だった。社長は数千万円する超高級外車を乗り回していた。辞めても代わりはいる。就職実績の欲しい専門学校が新卒をいくらでも供給してくれる。
「専門学校も動物関係は胡散臭い金儲けのとこばっかりです。獣医師か飼育員になれなければ動物の仕事は辞めたほうがいいと思ってます」
これはあくまでムギさんの意見だ。しかし獣医大、獣医学部は超難関の鬼倍率。同世代の受験ヒエラルキーにおける上位層でなければ難しい。飼育員に至ってはさらに狭き門、空きを待つしか無く、定期採用でも数名の枠に千人以上が応募する。非正規でも100倍を超えることがある。それでも大学に入らなければいけない獣医師とは違い飼育員に資格はいらない(公務員試験が前提となる国公立の動物園、水族館はのぞく)、よく学校側が「憧れの飼育員になれます」なんて宣伝文句に使う理由だろう。現実は大半が別業種、ペットショップへの就職すらマシなほうだ。数百万円かけて専門学校に通う結果がそれ、という、その厳しさは覚悟しておくべきだろう。また人気職の割には経営側と獣医師を除けば薄給だ。ムギさんの今回の申し出もペットショップだけでなく、そういった「動物が好きだから」、というだけで安易に選択する子たちへの警鐘の意味もある。
「(ペットショップで)動物園気分で喜んでる連中! あの光景を見て楽しい、かわいいなんて、はしゃげるなんて異常です!」
ときおり語気が強くなるムギさん。つらい過去を思い出させてしまった。トラウマは根深く、そのせいでスイッチが入るとエキセントリックになってしまうと謝っていただいたがそれは仕方のないこと。むしろ苦しい中、こうして話をしていただいたことに感謝したい。
断っておくが、ペットショップのすべてが悪ではないことはムギさんもわかっている。心ある大半の店員はむしろ被害者かもしれない。売れる命はどんな手を使っても売る経営者と業界の古い体質、それをいまだに許容している社会に問題がある。たかが犬猫、と思うなかれ、命に対する搾取の構図は、そっくりそのまま人間にも返ってくる。個々の業者をあげつらっても意味がない。社会そのものを、日本全体のペットに対する意識を変えていかなければ抜本的な解決には至らない。日本の法律で動物は「物」だが、ドイツの法律では動物は「物」ではない。犬の法律(Tierschutz-Hundeverordnung)すらあるドイツのようになるのは時間がかかるかもしれないが、動物を守るということは翻って人間を守ることにもつながる。それを倫理と呼ぶ。動物の命の軽い国は人の命も軽い。ムギさんの店のように。
ムギさんとモモちゃんの話は美談かもしれないが、もうこんな悲しい美談はたくさんだ。
【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、新俳句人連盟賞選外佳作、日本詩歌句随筆評論協会賞評論部門奨励賞受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)、近日刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太に愛されたコミュニスト俳人 』(コールサック社)