三田の巧みなコントロールで順風満帆に見えた一家だが、水面下では小さな傷口がゆっくり広がっていた。芝翫一家の知人が語る。
「実はここ数年、三田さんと芝翫さんの夫婦げんかが絶えなかったのです。芝翫さんのモテっぷりは半端ではなく、表に出ていない女性問題もあるようです。外では夫を立てる三田さんも、家では女性関係のことで芝翫さんを問い詰めることが多いようで、都内の一等地に立つ豪邸の隅々にまで怒声が響きわたることもあるようです。
夫婦げんかの仲裁をするのは国生くん(橋之助の本名)の役割ですが、常に両親の争いに巻き込まれることに疲れ果て、実は昨年秋に家を出たんです……」
橋之助が身を寄せたのは、芝翫の実家だった。
「人間国宝・七代目中村芝翫(享年83)の自宅で、つい最近までは、先代の妻、つまり国生くんのおばあちゃんが住んでいました。でもいま彼女は芝翫さんのお姉さんと一緒に暮らしているそうだから、あの家には国生くんとMさんが住んでいました。
国生くんとMさんはそこで結婚準備を進めていたのです。三田さんにすれば、息子が家出し自分に背を向けたとはいえ、勝手知ったる家ですから、安心していました」(前出・芝翫一家の知人)
芝翫の夕食はカップラーメン
綻びの生じた一家を襲った決定的な一打が、芝翫の「4年ぶり2度目の不徳」だった。今年1月、『週刊文春』がアンジェリーナ・ジョリー似の30代美女と芝翫の不倫を報じたのだ。
「国生くんが家を出てからさらに悪化していた夫婦仲は、2度目の不倫報道で修復不可能になったようです。これだけ夫婦のゴタゴタが続けば、結婚話どころではありません。両親の不和に深く悩み、自身の結婚話も棚上げになった国生くんは、みるみる自暴自棄になりました」(前出・芝翫一家の知人)
その最中、橋之助の前に現れたのが能條だった。
「家族の問題で気が滅入っていたところに気の合う能條さんが現れ、橋之助さんはすぐ深い仲になった。とはいえ彼はMさんともハッキリとは別れていないようで、この3月の京都・南座の公演では、Mさんも会場に来ていました。実は、能條さんも京都に来ていたようですが……。事情を知る関係者は、『さすがは芝翫さんの血を引くプレイボーイだね……』と苦笑していました」(前出・梨園関係者)