素直に心情を吐露する長者番付の常連は、自分の中で結論を下した。
「そのつど、真剣に女を愛したおれは、それでもプレーボーイと呼ばれるのか。それなら、甘んじて“プレーボーイ・梅宮辰夫”の看板どおりに生きることにしようじゃないか」
この翌年、クラウディア・ビクトリアと再婚して長女・アンナを授かる。しかし、1974年に衝撃の記事が出る。モロッコで性転換手術をしたばかりのカルーセル麻紀が梅宮辰夫に処女を捧げた──というのだ。
しかも、直撃を受けた梅宮のマネージャーやカルーセルは事実と認めた。だが、実は再婚後に夜遊びをしなくなったため、東映が“プレーボーイ”の愛称を復活させようと仕掛けた作戦だった。梅宮は「結託して(中略)雑誌を利用させてもらった」「ボクのも大きいので、そんなところへ入るわけないよ」とギャグ交じりに告白している(アサヒ芸能・1974年4月18日号)。
付き合った女性からの酷評を正面から受け止め、自分の弱さを偽りなくさらけ出す。会社のために話題作りも厭わない。そんな梅宮は稀代の色男だった。
構成・文/岡野誠
【※本特集では現在の常識では不適切な表現が引用文中にありますが、当時の世相を反映する資料として原典のまま引用します】
※週刊ポスト2021年8月27日・9月3日号