矢沢永吉と朝倉未来
先程も言ったが、朝倉未来は大金を稼いでいる。成功した元不良である。つまり成り上がりだ。かつては、成り上がりと言えばロックスターの矢沢永吉だった。矢沢永吉は、どこまで上がれるか、どこまで遠くに行けるか、ということを常に意識していた。またそのような物語を紡いできた。そのため矢沢はメンバーやスタッフを実力のある者に更新し続けた。
また、矢沢は日本では飽き足らず世界を目指していた。バックバンドを外国人で編成したこともある。つまり矢沢は、どこまで上りつめられるか、どこまで遠くに行けるかというオンリーワンの物語を仕掛けてきたわけである。これを僕は〈実力・成功・高く遠く〉系不良の物語と呼ぶ。
では、成り上がれなかった不良には物語はないのかというと、ある。それを僕は、〈地元・仲間・お店〉系不良の物語と呼んでいる。
高みに達することのできる不良はほんの一部だ。遠くに行ける者もひと握りである。しかも、辿り着いた場所が本当に居心地のいいところなのかもわからない。無理をしてそんなところを目指したくはない。それよりも、気心知れた仲間と愛着のある地元でゆったりした時間を過ごしたい、というフィーリングである。
そして仲間とつるんでなごめる場所の“お店”を持つということがささやかで現実的な夢としてセットアップされる。この〈地元・仲間・お店〉系不良の物語で着目するべきは、仲間だ。
矢沢のような自分の実力で遠くに行き大金を稼ぐ成り上がりはもはやグローバルエリートと言っていいだろう。一方の、〈地元・仲間・お店〉系はナショナリスト(コミュニタリアン)である。そして実は朝倉未来はこの二系統の不良のミックスであり、ニュータイプなのである、ということを次に明らかにしたい。