『母の待つ里』

『母の待つ里』

年をとると食が細くなると言うけど、あれは嘘

 東京生まれ、東京育ちの浅田さん自身も、小説の登場人物たちと同じく、ふるさとと呼べる場所がないと言う。

「こんにちまで東京の中で転居すること18回の東京漂流民です。ぼくと同じ境遇のおじさん、おばさんは、結構多いんじゃないですか。若いうちは、都会生活の魅力にばかり目が行くけど、年をとるにつれ、風景の美しさや、四季の移り変わりの見事さに気づくんです。この頃は、神宮外苑の銀杏並木が自然だとありがたがっている、都会育ちの自分がかわいそうな感じすらします。人間の幸福って自然とともにあることなのにね」

 作家のそんな思いを投影するかのように、山里の、四季折々の自然描写が美しい。

 雑誌連載が始まったのは2020年のはじめで、ラッキーだったことに、取材はコロナ禍の前にすべて終わっていたそうだ。

 ちよがつくる料理が、とびきりおいしそう。郷土料理の団子汁の「ひっつみ」や、タラノメとコシアブラの天ぷら、前沢牛や白金豚を焼いて塩コショウしたもの。地元の食材を活かした、本当の豊かさを感じさせる品々は、登場人物でなくても胃袋をつかまれそうだ。

「腹が減ってないとおいしいものは書けないから、食事の場面を書くときは決まってお昼抜きです。年をとると食が細くなるとよく言うけど、あれは嘘で、老人が謙虚を装っているだけだと思う。ほかの欲が消えても食欲は残るから、今のぼくなんか欲望の9割がたが食欲です」
「母」であるちよのキャラクターも魅力的だ。小説という虚構の中の、カード会社の計画の中で「母」を演じているのに、登場人物たちに「嘘がない」と感じさせる。控えめながら、存在感が際立つ。

「キャラクターについてはとことん想像します。小説を書きながら、ぼーっとしていることが多いのは、キャラクターと対話しているから。風呂屋によく行くんだけど、風呂に入っているあいだも、ちよさんや室田君たちと一緒にいて、彼らのことを考えていますね。

 実在の人物だと思うあまり、新宿の地下道で人とすれ違って、『あれ誰だっけ?』と思って、自分の小説の登場人物に似た人だったと、後で気づくこともあります」

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