高校の合格発表と前後して、佳作に選ばれた作文に「コピペ問題」が浮上した。
「作品内に、参考文献としてあげられていない、ガイドブックなどの記述と酷似する箇所が複数見受けられました」(別の皇室記者)
振り返ると、悠仁さまの歩まれてきた道は「将来の天皇」としては異例続きだった。幼小中とお茶の水の附属校に進まれ、そして高校は筑附高へ。“皇族のための学校”であるはずの学習院とは常に一線を引かれてきた。こうした選択の背景には紀子さまのご意向が存在するという。
「紀子さまは、悠仁さまが多くの国民から認められる天皇になるよう“箔付け”に誰よりも励んでこられました。そのうちの1つが“学歴”だったのでしょう。もし悠仁さまが東大に進学されれば、初の東大出身天皇になる。そうしたお考えから、進学校である筑附高を選ばれたといわれています。その学校の合格を勝ち取ったわけですから、紀子さまは1人でも多くの国民に、悠仁さまの晴れ姿をお披露目されたかったはずです」(前出・皇室記者)
しかし、愛息の卒業式当日に、世間の注目を一身に集めたのは愛子さまだった。なぜ愛子さまの成年会見と、悠仁さまの卒業式は「衝突」したのか。
「日程が先に決まっていたのは悠仁さまの卒業式でした。そこに愛子さまの会見が重なったという格好です。ただ、悠仁さまの卒業式があるからといって、天皇家である愛子さま側が配慮する必要はありません。皇室内の序列は、紀子さまも充分おわかりになっているはずです。それでも、3月17日は悠仁さまの優秀ぶりを国民に強く印象づけるチャンスでした。その機を逸された紀子さまには、悔しさにも似た焦燥がおありだったことでしょう。
一方、逆風のやまない状況下では、悠仁さまの卒業式が大々的に報じられることで、またあらぬ批判にさらされるかもしれない。愛子さまの会見が同日だったことで、それを避けられたことへの安堵もある。相反する2つのお気持ちの間で揺れ、紀子さまのお心の内は荒れておいでだったのではないでしょうか」(別の宮内庁関係者)
晴れの日に分かれた明暗が、皇室の未来を暗くしないことを祈るばかりだ。
※女性セブン2022年3月31日号