その決意の理由を会見から読み取ると、いくつか見えてくるものがある。その一つは競技会に対して意味や価値を見出せなくなったことではないだろうか。金メダル、点数、審判の評価を羽生選手は欲していないのだ。
「競技者として、他の選手と比べられ続けることはなくなる」「結果ということに対して、取るべきものは取れたなと思うし、そこに評価を求めなくなってしまったという気持ち」と語り、努力や自分の理想とするフィギュアスケートという形についても「そういうものを追い求めるのは競技会じゃなくてもできる」「もう別にここのステージにいつまでもいる必要はないかと思って」と述べた。そして競技者でなくなることへの寂しさも、競技への緊張感が恋しくなることも「絶対にない」と言い切ったことからもわかる。
毎年のように変更するルールや制限、背負うものの大きさや責任など、彼を縛るものはいくつもあった。引退という決断は平昌五輪の時、すでに考えていたというが、それでも今まで続けていたのは、「今の今まで本当にジャンプの技術も含め、かなり成長できたと思っている」からだ。だが、今の競技会が求めるフィギュアスケートは、羽生選手が理想とするスケートとは違っていたのだろう。彼が理想としているのは「僕が大好きだった時代の、僕が追い求めている理想の形のフィギュアスケート」なのだ。その理想の形を追い求められるようなフィールドは、もう競技会にはないのだろう。
会見の中で、羽生選手は「心を大切に」「自分を大切に」という言葉を、優しく真剣なまなざしで頷きながら何度も述べた。どれだけの我慢や辛抱、忍耐、制限などがあったのか一般人の私にはわからないが、それは想像を絶するようなものだったと思う。
だからこそ「自分の心をないがしろにしたくない」「自分も心を虚ろにするようなことはしたくない」「もっと自分の心が空っぽになってしまう前に」とも述べた羽生選手の言葉から、このまま続ければ自分の心が壊れてしまう、スケートから離れてしまうかもしれないという危機感があったことを推測させる。「自分自身を大切にしていかなきゃいけないなというふうに今は思っています」という言葉は、そんな彼の心の内を表していると思う。
「よりうまくなりたいし、より強くなりたい」「これからどうやって自分を見せていくのか、どれだけ頑張っていけるかが大事」だと語った羽生選手。挑戦し続けるという4回転半ジャンプの成功を是非、見たいと思う。