「香川さんは浜さんと祖父母、浜さんの姉家族、妹が一緒に暮らす家で育てられました。“父親不在”の女性上位の家族で、その家では仕事で稼ぐ浜さんが主として君臨していました」(映画関係者)
香川は著書『市川中車 46歳の新参者』(講談社)のなかで、自分が育った“女系家族”への批判とも取れる内容を、こう書いている。
《子供時代の不幸は、寂しさや経済的な厳しさではなく「自分が理想とするような人生の答えはこの家にない」と思って育ったことである。傲慢な思考の中に真実の教えは存在しない。それが、私が育った家から教えられた唯一の教訓だ。表面的な豊かさに重きを置いていた家族に対し、私は小学生の頃からますます内省的な側面を心の闇に抱く暗い少年へと転化していった》
外から見れば、裕福な有名人の家の子供。しかし、前出の同級生が言う「優秀な生徒」は、心に闇を抱えながら勉強に打ち込んでいた。
「お母さんはとても教育熱心でした。自分を捨てた夫(猿翁)が慶応大学卒業ということで、子供を『夫よりいい学校に入れたい』という意地もあったのかもしれません。
一方、香川さんには“外面”だけを気にして感謝の気持ちや愛を教えてくれない〝家の女性たち〟に反発があったようです。いい成績さえとっていれば、見栄えばかりを気にする母親らに何も文句を言われない。勉強に打ち込んだ陰には、彼女たちへの復讐心のようなものがあったのかもしれません」(前出・映画関係者)
《東京大学を受験したいと思うに至ったのは、家族に対する私の復讐のようなものだった》―実際に香川は前述の著書でこう綴っている。
東大を卒業した後、香川はいわゆるエリートコースから外れ、TBS緑山スタジオのADとして働き始め、その後に選んだのが、俳優の道だった。
そして、25才のとき母親に内緒で、突然、父親のもとを訪れている。
「香川さんは父親に対して、恨みではなく『生を授けてもらったことへの感謝』を伝えたかった。しかし、そのとき、父親に『いまのぼくとあなたとは何のかかわりもない』『あなたは私の息子ではない』と言われてしまった。それでも香川さんは父親を慕い続け、歌舞伎役者への憧れを捨てることができなかった」(歌舞伎関係者)