将来の目標は「空き缶博物館」!?
石川さんは今もおちゃめ(写真/横田紋子)
──コロナ禍でライブ活動ができなくなった時は、どのような気持ちでしたか?
「やっぱりライブも減ったし、将来に何の保証もない。それでもライフワークとして音楽は続けたいって思っていましたよ。デビュー前は、バイトしながら音楽はライフワークとしてやっていけばいいと思っていましたけれど、還暦を迎えた今は別の仕事はやりたくないなあ(笑)」
──では売れていた時の収入で、何か大きい買い物はされましたか?
「たまのみんなは、豪邸に住みたいとか、凄くかっこいい車を買いたいというような人たちじゃなかった。だから忙しかった時期でも、何か特別な贅沢したとかそういう記憶もあまりないんです。
メンバーで話し合って、売れているのはいつまでも続くわけじゃないけど、バンドは続けたいんだよねっていう話をして、お金を500万円ずつ出し合って、スタジオを作ったんです。メジャーと契約が切れてもそこで自分たちのレコーディングができたので、良いお金の使い方をしたと思いますね」
──石川さんにとって、たまの音楽はどんな音楽ですか?
「たまの音楽は、聞いている人の琴線に触れるようなものであればいいなと思っていたんです。でも聞く人によって全く違うんですよ。例えば同じ曲を演奏していても、ゲラゲラ笑っている人がいて、別の人が号泣していたりするんですよ。それって実はかけ離れたことじゃなくて、感情が高ぶるという意味では、笑うことも泣くこともすごい隣り合わせにあるんじゃないかなって思うんです。たまを聞いて心の琴線に引っかかれば、それが音楽として成功だって考えていましたね」
──石川さんにとって、たまという船はどんな船でしたか?
「やっぱり『イカ天』からデビューした時は、高い波に乗ったなって感じましたね。売れたことで今も生活ができているので、全体的にはもちろんラッキーだったんですけども。でも売れてからは、常にどこに行っても人から指をさされる。これはもう精神的に疲れましたね」
──これからの野望や夢はありますか。
「僕は空き缶収集が趣味なのですが、それで『空き缶博物館』を作りたいんです。今、家に3万種類ある。部屋にぎゅうぎゅうに押し込んでいるので、奥の方はびっしりで取れない(笑)。一本一本並べるためには、体育館みたいな広さがないとだめだから、誰か敷地が余っている人が経営をやってくれないかなって思っていますね。『しくじり先生』よりも、テレビでは空き缶のほうを取り上げて欲しいですね(笑)」
(了。前編から読む)
(取材・文/池守りぜね)