当然、大流行が勃発し、国王クアテモクも家臣もアステカの兵士の多くもこの病で死にました。さらに感染は拡大して、城内も街路も死者で埋まり、いったんは武力で勝利を得たアステカ王国でしたが、テスココ湖に浮かぶ美しい都と共に、1521年にあっけなくウイルスの前に滅びます。
この天然痘流行は1525年には南米インカ帝国にもおよびます。1531年、フランシスコ・ピサロはペルーに上陸し、1533年にインカ帝国をわずかな兵士で占領していますが、このときもインカ帝国は天然痘流行の真っ最中だったのです。
一方、返礼のようにコロンブスらは現地の女性から梅毒をもらい受け、スペインに持ち帰り、梅毒はわずか25年の間に世界を一周。そして、ルネッサンスのヨーロッパは梅毒真っ盛りとなるのです。
【プロフィール】
岡田晴恵(おかだ・はるえ)/共立薬科大学大学院を修了後、順天堂大学にて医学博士を取得。国立感染症研究所などを経て、現在は白鴎大学教授。専門は感染免疫学、公衆衛生学。
※週刊ポスト2023年3月31日号
南米で猛威を振るった(イラスト/斉藤ヨーコ)
