──ドリフに入る前から、ミュージシャンとして長く活躍なさっていた。
活躍って言うと大げさだけど、高校時代からウクレレに夢中になって、大学生活もバンド一色で、そのままプロになっちゃった。「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」っていうバンドを結成して、毎日のように関東の米軍キャンプを回ってました。立川の米軍の飛行場から軍用機に乗って、台湾やフィリピン、返還前の沖縄の米軍キャンプを回る「ワールドツアー」にも何度か行ったな。よく揺れたし椅子も硬くて、お尻が痛かったのを覚えてる。
その後、音楽の流行りに合わせて新しいバンドを結成したり、ジェリー藤尾さんのバンドに入ったり。20代は試行錯誤の連続だった。でも楽しかったな。ちなみに、ジェリーさんのバンドにオーディションを受けて入ってきたのが、仲本興喜(仲本工事)です。
──『8時だョ!全員集合』のコントでは、失礼ながら「なにもしない人」という印象でしたが、ご自身としての思いは?
ハハハ。そうだよね。でも僕は「ウケないことが高木ブーの存在意義」だったと思ってます。ドリフの最大の武器であり特徴は「5人いる」ということ。たとえば探検隊のコントで、隊長に言われてロープにつかまりながら川を越える場面でも、僕がどうにかうまくいって、仲本があっさり成功する。そのあとで加藤や志村がヘンなことをしたり失敗したりするから、大きな笑いになる。違う個性の5人がいるから立体的な話になるんだよね。
最初から加藤や志村が出てきて失敗しても、きっとあんまり面白くない。逆に、僕や仲本がヘンにウケるようなことをしたら、そのあとで加藤や志村がウケても、コント全体の面白さとしてはイマイチになっちゃう。高木ブーはウケちゃいけない。
「なにもしない人」というのも、僕にとってはホメ言葉です。さっきの探検隊の話だと、意外に難しいのが、自分が先に川を渡り終えた後にどうしているか。ただ突っ立ってちゃダメだし、目立つのはもっとダメ。たとえば志村が川に落っこちたら、ちゃんと驚いたリアクションを取る。でも、けっしてお客さんの目を自分に向けさせちゃいけない。
今でも覚えてるのが、長さんと藤山寛美さんの「松竹新喜劇」を見に行ったときのこと。隣りに座った長さんに「いいか、ブーたん、主役ばっかり見てるんじゃないぞ。見なきゃいけないのは、脇の役者がどういう動きをしてるかだ」と言われた。僕はドリフでは「第5の男」だけど、その役割に誇りを持ってます。
──80代後半からますます活躍の幅が広がっている。いくつになっても元気で、長く仕事を続けることができている秘訣は?
どうなのかな、自分ではよくわからないけど、のし上がってやるという野心とかがなくて、流れに身を任せてきたのがよかったのかもしれない。子どものころからだけど、目標を決めて突き進んでいくというよりは、楽しそうなことに飛びついたり、誰かに「いっしょにやろう」と声をかけられてついていったりということの連続だった。
人生は、思い通りにいくわけじゃない。僕も子どもの頃は空襲で家が燃えて何もかも失ったし、大人になってからも最愛の妻の喜代子さんを58歳の若さで亡くした。ドリフのメンバーとの悲しい別れもあった。だけど、そのときの自分にできることをしながら、前を向いて歩いて行くしかないんだよね。そうすれば何かに出会えるし何かが始まる。