近所でも仲のいい家族と評判だという(写真は2021年4月)
女優としてのキャリアを着実に重ねてきた松坂は、一方でプライベートではいくつもの困難を抱えた。
1967年に14才でデビューし、1980年代に『蒲田行進曲』や『青春の門』『火宅の人』など数々の名作映画に出演して、不動の人気女優となった松坂。
大きな転機となったのは1991年。米国・ニューヨークで活動するジャズギタリストの高内春彦さん(68才)と電撃結婚すると、両親との確執が始まった。
「高内さんは松坂さんの2才年下。当時は無名のミュージシャンで、“格差婚”と報じられました。松坂さんの父・英明さん(享年85)は結婚に猛反対し、『あいつは娘を利用している』『慶子に寄生して、のうのうと生きている』『あの男は吸血鬼だ』などと高内さんを罵倒し続け、マスコミからも否定的に報じられました。しばらくは両親の説得を試みた松坂さんも最後にはさじを投げて、『あんたたちなんか眼中にない』と応戦し、お互いが絶縁を宣言しました」(松坂の知人)
世間のみなさんに嫌われないかしら?
結婚後、松坂は両親を避けるように7年間をニューヨークで過ごした。
だが2006年に英明さんが糖尿病で寝たきりになり、松坂が介護するようになると、親子の関係に変化が生まれた。
「介護を通じて長年のわだかまりが徐々に解けていきました。2007年に英明さんが他界すると、ひとり残された母のつね子さんの面倒も松坂さんが見るようになった。2012年に還暦を迎えた松坂さんは一大決心をして、都内の実家に夫や子供ともども移り住み、家族ぐるみでの『同居介護』を始めました」(前出・松坂の知人)
20年ぶりに同居を始めた際、つね子さんは要介護3の認定を受け、認知症の進行が認められていた。自立した生活は難しく、車いすなしでは移動できなかった。
困難な老老介護を支えたのは、かつて「吸血鬼」と罵倒された高内さんだった。
「松坂さんが仕事と介護を続けられるよう、高内さんが家事を全面的にサポートしていました。NHK大阪が制作する『まんぷく』の撮影で松坂さんが家を空けるときは高内さんがつね子さんに1日3食を作り、車いすを押して散歩に連れて行った。ヘルパーさんや看護師さんの手配も高内さんが引き受けて、本当に頭が下がる献身ぶりでした」(前出・松坂の知人)