日本軍は砲台工事に取り掛かった。途中、季節外れの大雨が一か月近く降り続いたため予定より完成は遅れたが、そのような事情なので焦る必要はまったく無かった。また日露戦争の旅順攻防戦では他にも戦闘地域がいくつもあったので、とくに巨大な榴弾砲などの供給が容易に進まなかったが、この第一次世界大戦において戦場はもうここだけである。日本軍は余裕を持って攻撃計画を進めることができた。逆に言えば、ドイツ軍の勝ち目はまったく無かったということだ。

 十月三十一日、砲台が完成し満を持して日本軍は陸から第十八師団が、海からは第二艦隊が呼応して総攻撃を開始した。要塞に籠もるドイツ軍兵力は約四千三百名だったが、圧倒的な火力を誇る日本軍によって同夜半には要塞の周辺部分が破壊され、明治節(明治天皇誕生日)の十一月三日を期しての第二次総攻撃によって要塞主要部分も破壊され戦闘不能となった。要塞の中枢にはビスマルク砲台と名付けられた強力な砲台があったが、これも十一月五日には戦闘能力を失い翌々日の七日早朝ドイツ軍は降伏の白旗を掲げ、日本の勝利が確定した。

 ところで、一九六三年(昭和38)に公開された東宝映画『青島要塞爆撃命令』(監督古澤憲吾、特技監督円谷英二、主演加山雄三、佐藤允、夏木陽介)では、「難攻不落のビスマルク要塞」を当時日本軍に採用されたばかりの航空機を使って史上初の「爆撃」で破壊するという筋立てになっていた。映画としては大変面白く見ごたえのある作品だが、実際には要塞は日本陸軍の集中砲撃によって破壊されたのであって爆撃によってでは無い。

 ただし、この戦いで日独両軍ともに初めて航空機を戦場に投入したのは歴史的事実だ。とくに海軍は『青島要塞爆撃命令』にも登場する初の水上機母艦『若宮』を使って、モーリス・ファルマン式(以下モ式)複葉水上機を投入した。モーリス・アラン・ファルマン(1877~1964)は、フランス人のパイロットでのちに航空機設計も手がけ会社を設立した人物で、「モ式」は言うまでも無くこの会社の製品である。

 ドイツ軍はオーストリア=ハンガリー帝国製の単葉機ルンプラー・タウベを戦場に投入した。この機名も設計者のオーストリア人エドムント・ルンプラー(1872~1940)に基づくが、タウベは「鳩」を意味する。ファルマンは全面的に設計にかかわったがルンプラーはそうでは無かったことが、命名の微妙な違いの理由のようだ。しかし運動性能はタウベのほうが優れていたようで、日本陣地上空に飛来し砲台の位置を攻撃目標として自軍に知らせていたタウベに対し、日本軍は「モ式」でこれを撃退しようとして日本軍初の空中戦を挑んだが、タウベにうまく逃げられ目的を果たすことはできなかった。いずれにせよこの時代の航空機は戦闘機では無く、偵察機として使うことが主目的だったのである。

 ところで、この青島要塞攻略戦に際して総司令官の神尾光臣中将が取った戦略は日本軍の戦術的、時間的余裕を最大限に生かしたもので、強襲戦法を取らざるを得なかった乃木希典大将と異なり、戦死者も総兵力二万三千人中わずか五百七人(海軍271人、陸軍236人)で済んだ。旅順攻囲戦での戦死者が約一万五千人だったことにくらべれば、まさに完璧な勝利であり神尾光臣は乃木希典に勝るとも劣らない名将である、という評価が下されてもいいはずである。

 ところが、国民の間での評判は逆だった。「神尾は慎重すぎる」と世間では言われた。「慎重」なら褒め言葉だが、「慎重すぎる」というのはじつは「臆病者」ということだ。この時代、軍人は天皇直属であり「陛下の信頼を得て戦場に派遣されている」という形だったから、直截に悪口は言えない。天皇を批判したのと同じことになってしまうからだ。明治末の大逆事件以降そういう傾向が強まったように私は感じているのだが、それでも軍人を批判したいときはどう言うか。このように言うのである。

 しかし、とんでもない話ではないか、将兵の犠牲を最低限に抑え見事に戦争目的を果たした軍人が、なぜこんな評価をされなければならないのか?

(第1393回に続く)

【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。

※週刊ポスト2023年9月15・22日号

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