現役時代にレフトにコンバートされた経験
岡本はサードで2年連続ゴールデングラブ賞を受賞している。原監督が、その4番打者の守備位置を固定しないのは、どのような思惑からなのか。
「岡本はたしかに上手いですが、守備範囲はそれほど広くない。総合力を考えれば、坂本勇人やルーキーの門脇誠のほうが上です。また、中田翔のファーストの守備は12球団トップクラス。原監督はチーム編成を考えた場合、岡本がレフトに回るのが合理的だと考えているのでしょう」
現役時代、巨人の4番を打った原辰徳は8年目まではサードを守っていたが、9年目の1989年にはレフトにコンバートされた。この時、藤田元司監督は「次は塀の外しかない」と告げたが、1990年にはチーム事情でレフトだけでなくサードも頻繁に守った。この2年、巨人は連覇を果たしている。
「当時の経験が今の原監督の野球観につながっていると思います。4番であれ誰であれ、チームの勝利のためには自分のプライドなど、ちっぽけなものだと感じたのでしょう。1992年にはファースト、長嶋茂雄監督が復帰した1993年には再びサードに回った。
とはいえ、4番がポジションをたらい回しにされるのは他に例がないわけではありません。三冠王を3度獲得したロッテの落合博満も初めは本職ではないセカンドを守り、首位打者に輝いた翌年もポジションは変わりませんでした。1983年はファーストを守りましたが、1984年からはサード。1985年に2度目の三冠王を獲りましたが、1986年はまたファーストに移っています。中日に移籍した1987年はサード。1988年、1989年はサード、ファースト両方を守っていました。それでも落合はチームの勝利を最優先に考え、ポジションについて文句を言っていません。チームの中心選手でも、守備位置が頻繁に変わるのは起こり得ます」
1つのポジションに固定されれば、守備に余計な気を遣わずに済む。岡本がレフト、ファースト、サードと3つも守れば、そのぶん練習時間も割かなくてはいけなくなる。
「それが悪い効果だけを及ぼすかといえば、また別問題になります。いろんなポジションを経験すれば野球をいろんな視点から見られるし、新しい発見もある。将来、指導者になって活きる部分もあるでしょう。原監督はそうした部分も岡本に経験しておいてほしいと考えているのでは。