天海祐希がコートをひらり。ヴィトンも似合う(2022年)
公演で身につける衣装がなくなったこともあったという。
「それでも、天海さん自身は明らかに自分に敵意を向けている人とも、コミュニケーションを取ろうとしたんです。素っ気なくされても、どんどん話しかけていった。ただ、そうした努力にまで“鈍感だ”“ヘラヘラしている”という声が湧いた。根も葉もない噂が広まっていく歌劇団に、天海さんが絶望を覚えたことは想像に難くありません」(前出・別の演劇関係者)
その後、天海は入団7年目の1993年に、月組トップスターに就任。これもまた、異例の早さだった。だが、天海がステップアップすればするほど、悪意ある言葉が向けられた。「超豪華億ションに住んでいる」「ファンクラブの幹部を呼びつけて、夜中に洗濯をさせていた」といった噂話まであった。「宝塚にいるから噂を立てられる」と、退団を考えたことも一度や二度ではなかったという。
前述したように、特に退団後の天海は、宝塚時代への言及を極力控えている。「『女の世界』だから、いじめや嫉妬が蔓延する」と見られることを嫌ってのことだ。一方で、在籍時には、天海の苦しみの一端が見えたこともあった。
歌劇団が発行する月刊誌『歌劇』(1995年2月号)に、天海はコラムを寄せている。「いま、気になっていることを書いてほしい」という依頼に彼女が選んだ題材は、1994年11月末にいじめを苦に自殺したある男子中学生のことだった。
《最近、いじめを苦にした自殺が多い事に心が痛んでならない。きっと、その毎日の中では、小さな心で解決しきれなかったこともあったでしょうね……。(中略)人が大勢いれば、全員が同じという事はないし、立場の弱い人もいれば強い人もいる。だから少しでも経験をつんでいる人がそうでない人を助けてあげられる世の中になればいいなあと思います》
はるか30年近く前に、「伝説的タカラジェンヌ」が残した言葉は空虚に霧散し、「現役タカラジェンヌの自死」という悲劇を招いてしまった。
※女性セブン2023年11月16日号
