虹作戦で使用されるはずだった爆弾は、三菱重工ビルの爆破事件に転用された。東アジア反日武装戦線のメンバーのうち最年少の21歳だったのが桐島聡。明治学院大学4年生で、鹿島建設や間組の爆破事件に関与したとされる。桐島は逃亡中、岡山から広島県内の実家に「逃亡したいので金がいる」と電話。応対した父親が自首するよう懇願すると、「組織があり、自首できない」と断ったという。その後も逃亡を続け行方は杳として知れなかった。
「桐島の逃亡先についてはまったく想像できていませんでした。どういうツテでどこに逃亡するかを予測する上で不可欠な『人物像の把握』が不十分だったと言えるかも知れません」(緒方氏)
今回、桐島と見られる男が発見されたという報道が大々的になされたが、緒方氏の実感はやや違う。
「彼は組織の幹部メンバーではありませんでした。あの三菱重工ビル爆破事件にも桐島は関与していません」(同前)
警視庁は一斉検挙時に他のメンバーが所持していたアパートの鍵から名前が浮上するまで、桐島の存在すら認識していなかった。
「捕まっても重い量刑を受けることは考えにくく、なぜ逃亡を続けたのか釈然としません」(同前)
東アジア反日武装戦線のメンバーのうち桐島の他に2人が逃亡を続けている。一斉検挙で逮捕されながら、日本赤軍が1975年と1977年に起こしたクアラルンプール事件とダッカ事件で人質と引き換えに釈放された佐々木規夫と大道寺あや子である。
「彼らなりに目指す社会があり、取り調べでは彼らを悪人だと思い込むことのないように心がけた。だが、それでも暴力によって実現しようということは到底許されません」
緒方氏はそう指摘する。桐島の発見で事件に決着がついたわけではない。
【プロフィール】
竹中明洋(たけなか・あきひろ)/ジャーナリスト。1973年山口県生まれ。北海道大学卒業。NHK記者、衆議院議員秘書、『週刊文春』記者などを経てフリーランスに。著書に『決別-総連と民団の相克77年-』(小学館)など。
※週刊ポスト2024年2月23日号