分岐点は「借金」
そうなった分岐点はどこか。今の私ならキッパリ答えられる。それは自分のお金だけでは収まらず借金をしたかどうかだ。例えばもしあなたが友人や家族から「絶対に一位になる馬があるんだけど10万円貸してくれる」と言われたら、笑って断ると思う。「冗談よしこさん」とかいって。
ところが言っている方は本気も本気で、自分がコレと決めた馬が全力でゴール前を疾走する姿が瞼の裏にハッキリと映っているんだわ。病気? そう、脳の配線がどこかで取り違えてしまった病気だと思う。
でね。さらにおかしなことだけど自分は病気かもという自覚はあるんだよね。だから「お金を貸して」という時、「ギャンブルのため」とは言わない。なんだかんだと嘘をつく。どんな嘘でもつく。
真偽のほどはわからないけれど、水原氏は家族や友人にも借金をしてギャンブルに突っ込んでいたと報道されている。だけどそれは今にして思えばで、その時は耳に心地いいことを言っていたに違いないんだよね。私だったら「大谷さんの遠征について行くための経費を立て替えて」とか言いそうだ。自分も有名大リーガーの一助になると思ったら喜んで貸す人は簡単に見つけられるもの。
でも借りた金は返さなくてはならない。「いつごろ返してくれる?」という催促が来る。ここで「ごめん。実は…」と頭を下げることができたら深みにはハマらないんだよね。だけどギャンブル沼に落ちる人は、そういう精神構造にできていないのよ。
が、私の場合、最初からお金を貸してくれる人がいなかったし第一、嘘をつく能力に欠ける。借金を申し込むときの気まずさにも耐えられそうにない。そこで向かった先が消費者金融、つまりサラ金だったわけ。当時の金利が年利30%弱というとんでもないものだったけれど、これを一か八かの勝負をして返そうと思っているんだからどうかしていたんだよね。
「賭場から離れるのが怖かった」
最初に消費者金融の扉を押したのはギャンブルを始めて5年くらい経ってからで、その後、およそ15年の間にいったいいくら借りたのか。7年を超える頃には月々の返済が約20万円で、そうなると頭の半分は返済日と、足りない返済額をどこから持ってくるか、そればっか。苦しくて苦しくてたまらない。でもあっちのお金をこっちに持っていって今日はもう催促の電話がかかってこないとわかると、あ~あ、じゃあ、もう一打ちしようかなと早い時間ならパチンコ店に向かい、日が暮れる時間なら麻雀荘に行く。
ポーカーフェイスというけれど、それはギャンブルのテーブルに着いたときのしらばっくれではなくて、日常そのものなのよ。当時の私を知る人は、ここまでの沼に落ちていたとは誰も知らなかったと思う。