「アニメは1990〜1992年まで2年間放送した後、一時休止を挟んで1995年以降に再開しましたが、さくら先生は第1期の終わりと第2期のスタート時はひとりでシナリオを担当していました。
現在の『まる子』は、10人以上のシナリオライターがついて何とか回っていくのに、先生はほかの仕事もしながらひとりで書いていた。尋常ではない恐ろしいほどのパワーで、われわれには思いつかないエピソードや展開が次々に飛び出して驚きました。先生はまる子をとても大切にされていたので、自分で書きたいという思いが強かったのでしょう」(高木さん)
土屋さんも、さくらさんとの対談本『ツチケンモモコラーゲン』の編集現場で、そのエネルギーを目の当たりにしたと続ける。
「さくらさんは嫌なことから逃げ出すこともあったし、健康志向がありながらたばこをやめられず、プロポリスを塗りながら吸っているような意志が薄弱で矛盾したところがあったけれど、その半面でとにかく“自分がやりたいこと”を実現するときの集中力と懸命さがものすごかった。
原稿を書くときはガッと集中して、モーツァルトが楽譜を書くように迷いも修正もなしにスラスラと書いていく。仕事はもちろん、自宅のインテリアも凝りに凝って妥協しませんでした。
もっともその集中力は1時間しか続かない。『だからドラマも長いものは見られないし、サザンオールスターズが大好きだけど、コンサートには行けないんだ』と当時語っていたのを、さくらさんらしいと思いながら聞いていたことをよく覚えています」
そんなさくらさんの渾身を、TARAKOさんは全身全霊で受け止めた。高木さんが語る。
「TARAKOさんがまる子というキャラクターを心から愛し、いつも優しく明るく振る舞ってくださったことで、制作現場は常にとてもいい雰囲気でした」
通常、声優は事前に台本を読み込んでからアフレコに臨むが、TARAKOさんは収録当日に台本を受け取り、ぶっつけ本番で臨んでいた。
「現場で初めて台本を読み、そこで初めて演じるスタイルです。映像の中のまる子は事件や出来事に初めて遭遇しているのに、あらかじめ練習していると芝居の新鮮さが失われる。自分がまる子になり切るために、あえてぶっつけ本番を選んでいたのでしょう。『ちびまる子ちゃん』の現場でそうしたスタイルを取っていたのはTARAKOさんだけでしたが、彼女はいつもスーッと自然にアフレコ用の映像に溶け込んでいました」(高木さん)
(第3回へ続く。第1回から読む)
※女性セブン2024年4月25日号